【韓国紙】テレビの芸能番組より劣る大統領選挙
未来への希望なき韓国国民
最近、テレビで出演者が競って新しい分野に挑戦する類の番組が多い。そんな才能があるとは分からなかった人が素晴らしい歌で私たちの心を動かす。運動プロではない人々が競技を通じて努力と和合の意味を見せる番組など、余韻を残す番組が視線を引き付ける。
こうした番組はたいてい二つの特徴を持つ。まず、努力を通じて成長するストーリーがある。歌でも運動でも本来上手(うま)い人が上手くやる姿を見せても大衆は熱狂しない。だが、困難に打ち勝ち、自身の限界を克服して成長する姿を見せる時、私たちは共感し、夢中になる。また、勝敗を越えた和合と共存の姿に感動する。
大統領選挙と比較せざるを得ない。大統領選と芸能番組は支持率と視聴率でその結果が決まる一種の競争だが、数字以上の目的があるという共通点がある。国民に安定と福利を抱かせるのが政治の本質であり、競う候補者と政治勢力が彼らを見守る国民と共に大統領選挙を形づくって選挙本来の目的を達成しなければならない。だが、韓国の大統領選挙は希望の代わりに絶望だけを与えている。候補らは自らのストーリーを作ることができないばかりか、選挙を通して成長していく姿も見せられずにいる。
(与野党の有力)2候補のストーリーは残念なレベルだ。公正と常識の強調はもはや陳腐となり、お決まりのポピュリズム的な政策提示は故障したレコードのように反復され、新しいストーリーを作り出せずにいる。
継続する失言と内部組織も管理できないリーダーシップ、場当たり的な政策と現政権に対する戦略的曖昧性。彼らに大韓民国の5年を任せてもかまわないのか、国民は悩むしかない。
プロでないタレントが競技に注ぐ情熱や、3分の舞台のための数百時間の練習をこなす選手たち。彼らより大統領候補たちの努力が足りないと感じるとすれば、何かが間違っていないか。
選挙は単純に多数決で1人を選ぶことで終わってはならない。この過程で政治、経済、社会に対する国民の意見を聴取し、自分を支持しない層と集団までをも配慮し抱擁できてこそ、選挙は“民主主義の花”と呼ばれ、国民は未来に対する希望を育てることができる。
だが、死に物狂いで中傷し合い、家族の過去まで掘り返し、類似した政策を掲げながらも相手の政策をけなす二重基準には眉をひそめざるを得ない。政派ごとに見解と実践方法は違っても、結局、政治の目的は反対派より一票でも多く得ることではなく、国民に仕えて国民が幸福を追求できる世の中をつくることであると悟らなければならない。
二大政党の候補者はサッカーに例えれば、互いにオウンゴールだけ得て国民という観衆に失望を与えている。視聴者のために最善を尽くし感動を与える芸能番組を少しでも見習う大統領選挙になることを期待する。
(金重白(キムチュンベク)慶煕大教授社会学、12月27日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
ポイント解説
「真正」だけが問われている
初めて民主化された1987年から韓国大統領選挙を見てきたが、今回ほど低劣な選挙戦は見たことがない。与野党候補者共に「女性」で躓(つまず)くなど初めてのことだ。李在明(イジェミョン)氏は女優との不倫が暴露され、尹錫悦(ユンソンニョル)氏の夫人は履歴を盛っただけでなく、“風俗嬢”疑惑までが取り沙汰されている。
韓国が抱える課題はこんなことに議論を費やしていられるほど生易しいものではないはずだ。膠着(こうちゃく)状態の南北関係、収まらない北朝鮮の核・ミサイル脅威、米中の狭間に入ってハブられる外交、悪化一途の対日関係、国内に目を転じれば、指数ばかりよくて内実は火の車の経済、いつ弾けるか分からない家計債務、深刻な若者の失業率、不動産政策の失敗、社会の二極化と分断、等々、難題が山積しているのだ。文在寅左派政権で“ぶっ壊された”大韓民国の再生を誰がどうするかが問われているのである。
しかし彼ら候補者の姿は、テレビで頑張る芸能人より劣るという。共感と感動がない。両陣営は政策論争よりもスキャンダル暴きに奔走している。それどころかオウンゴールで観衆(国民)を失望させている。
この時期に文政権は岸田首相との面会を求めたり、TPP(環太平洋連携協定)加盟を申請する。2カ月後には退任が決まる政権と協議できる話ではないから放置せざるを得ない。政権が代われば、また一から始めなければならないからだ。こうした思い付き次元の最たるものが「終戦宣言」だ。文大統領の“レガシーづくり”は両者にとって迷惑以外の何物でもないだろう。自身の退任後を見据えただけで、大統領選に割って入った“雑音”にすぎない。
事実上2人に絞られている選挙戦で、勝敗を左右する無党派層をつかむには芸能人以上のひた向きさと努力が必要だ。韓国人の好む「真正性」をどの場面で示していけるか。矛盾するようだが、もはや政策は必要ない。だれが「真正」かだけが問われている。
(岩崎 哲)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。