国民は偉大だが国家も偉大なのか


韓国紙セゲイルボ

検察改革に執着し泥仕合

 2020年1月20日は国内初の新種コロナウイルス感染者が確認された日だ。その後、私たちの生活は一変し、大韓民国の2020年は暗鬱(あんうつ)だったが、しばらくはもっと暗鬱になる見通しだ。

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ソウルの大統領府で任命式に臨む韓国の文在寅大統領(左)と尹錫悅検事総長2019年7月(韓国大統領府提供・時事)

 だが、私たちはよく耐え忍んでいる。共同体を持続するために各自の持ち場で最善を尽くしている。医療スタッフは命懸けで患者を治療し、一般国民は社会的距離をとり、大韓民国がどん底に陥らないように努めている。

 02年以降、韓国という運命共同体のために、全ての国民がこのように一つの心で一つになったことはなかった。人間は苦難と逆境を通じて自身を省み、未来に進むので、新型コロナとの戦いは大韓民国国民をより堅固にするだろう。国民は偉大である。

 だが、大韓民国という国家も偉大なのか。第3波を迎えている韓国と日本の国民に新型コロナ危機の性格を質問したKBSの調査によれば、日本の市民はこれを「保健危機」と体感する割合が高いが、韓国民は「経済危機」と感じる者が多かったという。特に自営業、青年雇用、失業の危機が深まったと答えている。

 このような時にこそ必要な存在が国家だ。国家の真の価値は、個人の力だけでは解決し難い社会的危機が到来した時に現れる。困っている人の面倒を見て必要な財源を支援し、倒れた人々が再起できるように手を差し延べるのが国家の存在理由だ。このために私たちは喜んで税金を納め、選ばれた権力に力を与える。

 しかし、この1年、国家は何をしたのか。国民と医療スタッフが生計と生命を脅かされながらも、犠牲に耐えている時、99%の国民にとっては何の意味もない検察改革に執着し、法務部長官(法相)と検察総長(検事総長)が泥仕合を繰り広げ、疲弊した国民の心を一層苦しめてきたではないか。

 ほかにもアパート政策、ワクチン確保、不要不急の空港建設計画…。政府がなすべきことはコロナで生計が苦しい国民にまともな社会的セイフティネットを提供することではないのか。

 国家はただ国民から正当性が生まれ、国民のために働く時だけ存在価値を持つ。黄色いジャンバー(作業着)を着たからといって国家がすべき役割を遂行しているとは言えない。

 5000万人が集まって暮らす中で、互いに考えが違い、望むものが同じでないのは当然だ。しかし、どのようにすれば国民の苦痛と凍えた手を温めてあげられるのか、指導者の一言に国民がどれくらい慰められ、頑張ることができるのか、それだけを考えて、陣営を分けずに国家を運営する時、国民は国家を尊敬して従う。偉大な韓国民は偉大な国家を持つ資格がある。

(金重白(キムチュンベク)慶煕大教授社会学、12月29日付)

※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。

ポイント解説

ただ「国らしい国」を望む

 新型コロナウイルスで明け暮れた1年を振り返って、韓国では政府への不満、批判が高まっている。文在寅大統領への支持率も「コンクリート支持層」を割り込みそうなまでに下がった。批判の理由は国民目線の政策がないだけでなく、“陣営を分けた”政争に明け暮れていたからだ。これでは国難に際して、朝廷内の党争に血道をあげていた王朝時代と何ら変わりはない。

 特に最近の法務長官(法相)と検察総長(検事総長)の対立は国民を呆(あき)れさせた。相手を倒すためだけの法律を作り、権力でねじ伏せるやり方は、日本だったら「国民不在」と野党が声を挙げて批判しただろう。もちろん韓国も同じ反応だった。展開があまりにも分かりやすいために、安物のドラマを観(み)させられているようだ。

 当初コロナ対策に成功した韓国は「K防疫」を世界に誇ったが、第3波の襲来でそのプライドも脆(もろ)くも崩れ、ワクチン確保では悠長に構えていて、必要量確保の確定ができず、一気に「落伍国」の印をもらう始末だ。国民の怒りが収まらないのも当然である。

 左派学生運動出身者が多くを占める政権内で、頭でっかちの経済政策は失敗し、片思いというより独りよがりの対北政策は袖にされっぱなし。本来韓国の守りとなる米国とはぎくしゃくし、日本との外交関係は壊れてストップしてしまった。

 当初「国らしい国」を作ると言って登壇した文政権だが、厳しい成績表を国民から突きつけられている。「政府は国民を映す鏡」とサミュエル・スマイルズは「自助論」で言った。「偉大な韓国民」にどうして「偉大な政府」がないのだろう。

(岩崎 哲)