“護国英雄”と進歩派市長の二つの死
国家精神の水準示す白氏冷遇
二つの死がある。一人は10日永眠した“護国英雄”白善燁(ペクソニョップ)将軍。もう一人はその前日に自ら命を終えた朴元淳(パクウォンスン)ソウル市長だ。
2人の人生は大将と二等兵ほどに違った。人生の出発から天と地の差だった。白善燁が生まれた当時、祖国はすでになかった。植民地の青年は日帝満州国の軍官学校を出て中尉として勤務した。この短い“親日行跡”が後々彼を困らせる。
一方、解放された祖国で生まれた朴元淳は司法試験に合格して堅実な道を歩んだ。彼はセクハラが犯罪であると世の中に知らせた国内最初の弁護士だった。人権弁護士と市民運動家として活動した後、3期ソウル市長を務める栄誉に浴した。
人生の路程はその後も克明に交錯した。白善燁は亡国のどん底から国を救い出した。朝鮮戦争の時、洛東江戦線を防御していた米軍は丁一権(チョンイルグォン)陸軍参謀総長に、最も信頼できる韓国軍を多富洞(タブドン)に配置してほしいと要請。丁一権は白善燁の第1師団を指名した。
マラリアで臥せっていた白師団長は直ちに戦場に駆け付けた。拳銃を抜いて座り込む将兵に向かって叫んだ。「われわれが押されれば米軍も撤収する。それで大韓民国は終わりだ。私が先頭に立つ。私が恐れて退けば私を撃て」と。彼の師団は大勝を収め、平壌にも一番乗りを果たした。戦後、白善燁は韓米同盟の基盤をつくり国軍を再建した。
次期大統領候補として勢いづく朴元淳は自身が積み上げた女性人権の塔の前に倒れた。女性秘書を4年の間、セクハラしたという告訴状が警察に受理された翌日、独り北岳山に登り命を絶った。社会的嫌悪犯罪を犯し、自殺という社会悪を逃避先とした。
死後の風景も対照的だった。朴元淳は前例のないソウル特別市葬で礼遇された。国内外の焼香所には政治家と社会指導層、市民の列が続いた。共に民主党は「人権弁護士、市民運動家として民主化の先頭に立った方」だと褒め称(たた)え“あなたの意思を記憶する”という追慕の垂れ幕をあちこちに掲げた。
しかし将軍の死には論評さえ出さなかった。ある左派団体は「白氏が行くべき所は顕忠院(国立墓地)でなく靖国神社」と侮辱した。見かねた青年社会団体が光化門広場に将軍の焼香所を整えた。幼い子供2人と焼香を終えた母親は「国の英雄をどのように待遇するのかを見れば、その国の水準が分かる」と話した。
超強大国は違った。ロバート・エイブラムス在韓米軍司令官は白善燁他界の便りに、「心より懐かしい英雄であり国家の宝物」という哀悼声明を出した。在韓米軍は2018年白寿を迎えた白善燁に誕生日の祝膳を整えた。ハリー・ハリス駐韓米大使は車椅子に座った老兵を見ると、すぐに膝をつき両手で彼の手をとった。最高の敬意であった。
核を手にした金正恩に身を屈めながら、護国英雄は冷遇する国を果たして天が守るだろうか。「神の守り給うわが国万歳」という愛国歌(韓国国歌)のように、天が永遠にわれわれを守る奇跡を望むな。天は自ら助くる者を助く。
(裵然國論説委員、7月14日付)
※記事は本紙の編集方針とは別であり、韓国の論調として紹介するものです。
《ポイント解説》
あきれた左派政権の二重基準
国を守った英雄には埋葬地さえ注文を付け、“人権弁護士”といい、その実セクハラで自殺した左派政治家には「市葬」の待遇を与える。左派政権の価値基準がこれほど臆面もなく露骨に押し通された事例は見たことがない。
朴元淳ソウル市長の自死には、どこにも「公務」の要素がないのに、全国に焼香所をつくり市葬で送る。それが遺族の願いでもなく、ましてセクハラ被害者を二重に傷つけることなどお構いなしで、左派勢力の“祭り”にしてしまった。
一方、朝鮮戦争の英雄、白善燁将軍はかつて日本統治時代に満州軍官学校を出て中尉として服務した経歴が問題にされ、普通なら国立墓地に葬られる功績がありながら「待った」がかけられた。その時代にその地で生まれたのは白青年のせいではない。韓国の世代間葛藤に、北の肩を持つ左派の理屈が加味されるとこういうことになる、という見本だ。
それがいかに異常かということを裵論説委員は米国の対応でもって浮き彫りにした。在韓米軍司令官が哀悼の意を伝えるのは当たり前としても、韓国民にことのほか評判の悪い日系軍人出身のハリス大使が白将軍に示した「最高の敬意」を紹介し、「東方礼儀の国」に対し、あえて品挌ある礼節を説いた。この皮肉が左派に伝わるだろうか。
かつて白将軍が「朝鮮戦争」の本を出し、日本で出版記念パーティーをした時、集まった政界、言論、そして自衛隊関係者が将軍を囲んで示した尊敬の雰囲気を良識ある韓国民に伝えたい。
(岩崎 哲)