安全保障で浮上するドイツ
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
EU動かす指導的役割
対露制裁と「イスラム国」で
欧州経済政策は実質ドイツが決めているといっても過言ではない。ユーロ圏国や他の欧州連合(EU)加盟国ばかりでなく、アメリカもメルケル首相の一語一句に注意を払う。ドイツ国民が他国の経済をどこまで支援することを認めるかばかりでなく、ドイツ憲法裁判所の判断はEUの経済・金融政策を左右する。
しかし、今それに加えドイツは安全保障面でも積極的な関与政策を取りだしている。これまでのドイツは第2次世界大戦を起こしたばかりでなく、ホロコーストの責任から、軍事面ではなるべく影をひそめていた。北大西洋条約機構(NATO)の一員としてNATOの軍事行動に加わることに国際的制約はないが、議会にも国民にも自制心が強く働いている。
NATOにとって初めての欧州地域外戦争であるアフガニスタン戦争に参戦しているが、さまざまな規制を自軍に課した。ドイツの責任区域とされる地区を一歩でも越えることはなかった。ドイツ人司令官が実戦に慣れていないことから、誤った判断でNATO軍の爆撃命令を下し、民間人の犠牲者を大量に出したこともある。
リビアでの内戦が激化すると、イギリスとフランスに押されたアメリカが当初指揮を取り、後にはNATOが指揮を任され、加盟国の一部が空爆に参加した。しかし、ドイツは加わらなかったどころか、地中海に派遣されていた自国の戦艦をあえて撤退させ、いかなる形でもリビアの戦闘に巻き込まれることを避けた。
ところが、ロシアがクリミアを併合し、東ウクライナの反政府軍を軍事支援し、また、イラクとシリアにおける「イスラム国」(IS)が殺戮(さつりく)や拷問を繰り返し、支配領土を広める中、ドイツが国際舞台で積極的な動きを取るようになっている。
ロシアのプーチン大統領と話ができる指導者はドイツのメルケル首相しかいないと言われる。メルケル首相は東ドイツで育ち、ロシア語は堪能、逆にプーチン大統領もドイツを知り、ドイツ語も話す。EUはロシアのエネルギーに依存する国が多く、プーチン大統領はそれが理由にEUはロシアのクリミア併合やウクライナ関与に対しても甘いと読んでいただろう。確かに、アメリカに比べEUは当初、経済制裁にも二の足を踏んでいた。しかし、マレーシア機がロシア、あるいはロシアに支援された反政府軍に撃墜され、プーチン氏がウクライナ国内でのロシア軍の関与すら否定し、東ウクライナ内の不穏を助長し続けると、メルケル首相の姿勢はどんどん厳しくなっていった。今やドイツがEUの経済制裁強化の先頭を切っている。
メルケル首相は今月初めにディ・ヴェルト・アム・ゾンタグ紙とのインタビューで、ロシアがモルドバやグルジアで問題を起こしている、バルカン諸国が政治・経済的にロシアにいやでも依存するように仕向けているとプーチン大統領を非難した。NATOは対ロシア対策としてポーランドやバルト三国といった加盟国を守るために上空警備を増やし、さらに緊急事態に対応するために迅速に配備できる即応部隊の創設を決めたが、ドイツとノルウェー、デンマークがその最初の部隊を組み、早々に派遣できることが発表されている。
メルケル首相はロシアが東ウクライナに関与する限りは経済制裁を緩和することはない、と強調しながらも、EUとユーラシア連合間で貿易問題を協議する用意があると述べ、情勢緩和の努力も行っている。
一方、もう一つの世界的課題であるIS対策をみると、ドイツはイラク内の空爆に参加していないが、イラク北部で戦うクルド兵に武器供与し、クルド兵の訓練も行っている。これまでドイツは戦闘地域への武器供与には非常に慎重であったことを考えれば、姿勢を大きく変えたことになる。
ドイツがISとの戦いに積極的に関与するのは、ISが自国の安全保障にも重大な脅威をもたらすからである。欧米パスポート所有者でISに加わっている数は5000人ともいわれるが、彼らはEU圏内ほとんどどこでも自由に出入りし、テロを起こすこともできる。一方、ロシア政策に深く関与するのは、ドイツとロシアが冷戦中から関係構築を図ってきたこと、そして両国の経済が密接な関係があるからばかりでなく、今EUの中でドイツ以外にリーダーがいないからである。
欧州統合が始まって以来、ドイツはフランスと二人三脚で欧州を引っ張ってきたが、フランス経済が弱体化し、EUを指導するどころか足を引っ張っている。EU第二の経済国である英国ではEU脱退を問う国民投票が行われる可能性が高い。自然とドイツがEUを代表する形となっている。
ドイツ人の多くは自国が国際的に目立つリーダーシップの役割を果たすことを望んでいるわけではない。ましてや軍事力を発揮することに反対する人は多い。しかし、ドイツは経済力、安全保障上の必然性、そしてフランスの弱体化故に指導者の地位に押し上げられた。アメリカがロシアの侵攻から同盟国を守り、ISと戦うに当たり、一番重要なパートナーはEUであるが、そのEUがいかなる政策を取るかはドイツにかかっていると言えるほどドイツは重要な役割を担うようになっている。
(かせ・みき)