天安門事件30年、共産主義体制を直視せずに中国の「異質さ」を説く毎日

◆各紙 「期待」を反省

 「経済発展しても中国は民主化しなかった」「期待は誤りだった」。天安門事件から30年を迎えた6月4日、各紙の社説には反省の弁が溢(あふ)れた。

 この間、中国は力による“体制の安定”を確保した上で経済発展に集中してきた。その結果、中国は世界第2位の経済大国にのし上がった。自由世界はその“豊かさ”を背景に中国は強権体制を解いて、民主的社会に進むだろうという期待を寄せていた。

 ところが、民主化を進めるどころか、習近平政権は長期独裁体制を強化し、国内では人権や言論を圧殺し、外では先端技術を盗み、情報技術支配をもくろみ、途上国を借金漬けにして支配下に組み入れる「一帯一路」を推進している。その中国が天安門事件の真相を明らかにし、民主化するわけがなかろう。

 産経(4日付)は主張で、「事件をめぐる基本的な事実すら30年を経て開示されていない。極めて遺憾である」とし、「もはや習政権下の中国と民主や法の支配という価値観を共有できないことは明白である」と断じた。読売(5日付)社説も「人権や自由などの基本的価値観すら共有できない」と突き放し、「異質な大国」への不信感をあらわにしている。これが民主社会の普通の考え方である。

 一方、毎日(4日付)社説は事件を「社会主義体制の非情さを世界に見せつけた」と言うだけだ。「中国共産党」を名乗っているのにもかかわらず、あえて「社会主義体制」と言い換える意味が不明である。いまだに共産主義体制直視を避けていて、何の民主化だろうか。「民主化を伴わない大国」の「異質さ」を説いたところで、その異質さが共産主義に由来していることを認めない毎日のスタンスの方が今や“異質”である。

 朝日ですら4日付社説で、「軍事弾圧が『正しかった』と言い続ける限り、共産党政権に正義はない」と言い切っている。よくぞ言った、である。

 日経(4日付)社説は「中国はいまこそ経済発展に見合った民主化のあり方を真剣に議論すべき時期に来ている」と呼び掛けているが、日経の社説ならば中国共産党幹部も目を通しているかもしれないものの、彼らには何も響かないだろう。現に見直す気が全くうかがわれないのだから。

◆制裁早期解除を批判

 各紙に共通しているのが、事件後、日本政府が早期に対中制裁を解除したことへの批判である。産経は「日本は国民虐殺の責任を問うことなく中国の独裁政権の再起に手を差し伸べた」と厳しく批判し、「この教訓を胸に刻み、対中政策が中国の覇権を再び助長することのないよう」政府にくぎを刺しているが正論だ。

 日経も、制裁解除するなら「置き去りにされてきた人権・民主化、情報自由化などでも中国に注文を付けるべきだ」と注文を付けたが、いまさら言っても後の祭りであるのだが…。

 日本政府を若干“擁護”しているのが朝日だ。当時、日本は中国を「孤立させれば、かえって民主化が遅れてしまうと主張した。その見通しは甘かった」としつつも、「だが中国の改革を促す意欲は今こそ発揮すべきだ」としているのはいかにも朝日らしい。「あの事件の総括と民主化なくして、中国の真の発展はない」はむしろ中国へのエールに聞こえる。米国を先頭に強い対中包囲網が敷かれている中で、ひとり中国政府に「改革を促す」日本がどのように映るのか、という視点はもともとないのである。

◆北京は聞く耳持たず

 6月末に大阪で開かれる20カ国・地域首脳会議(G20)の場を利用して、中国に民主化を促す機会とせよとしているのが産経と日経。G20に続く8月の主要7カ国首脳会議(G7)でも、「日本には米国やドイツなどと連携して中国に真摯な取り組みを促す責任がある」と日経は結んでいる。しかしG7に呼ばれていない中国に「真摯な取り組み」を促したところで、北京の耳には届きそうもなく、まず中国と関係を深めている国もあるG7で、その共感が得られるのかは不明だ。

 小紙(4日付社説)は「日中関係は改善基調にあると言われる。しかし、共産党独裁の中国と信頼関係を築くことは難しいのではないか」と否定的で、「共産党独裁」である限り、民主化や善隣関係はたやすくないとの指摘は至極まともである。こんな単純なことがすんなりと言えない言論空間とは何なのか、考えさせられる。

(岩崎 哲)