一強体制を強化する習近平氏
武警を中央軍委管轄下に
軍隊化で国内外に新たな問題
中国では、昨秋の共産党第19回大会(19大)で習近平総書記に権力を集中する一強体制が確立した。それから5カ月が経(た)とうとしているが、習一強体制を補強するような措置が続いている。その第1は1月1日を機に武装警察部隊(武警)を自ら統御する中央軍事委員会(中央軍委)の管轄下に組み込んだこと。第2は1月に開催された第19期第2回中央委員会総会で党規約に盛り込まれた「習近平思想」を3月開催の全国人民代表大会(全人代)で憲法を改定して盛り込むことを決定したことである。そしてこのような習一強体制はこれまでの集団指導体制の否定とも見られている。
習総書記はなぜここまで権力集中や権威付けを強化するのか、その狙いと功罪について考えてみたい。習一強体制の強化は、21世紀中葉を睨(にら)む覇権戦略の実現に向けた政権運営には有利に働こうが、同時に問題も浮上してくる。習一強体制とは共産党独裁統治システムの頂点に立つ習近平個人の政権運営での裁量権を極大化するもので、多事多難な事案処理で習氏個人の判断力や時間の限界をどう克服できるか、の課題が浮上する。
これまでの中国政治は最高指導部・政治局常務委員(常委)7人が権限とともに責任を分担する集団指導体制で、常委が所掌ごとに重責を分担してきた。それでも習1期政治では反腐敗闘争の恐怖・重圧から中間管理職や地方責任者が保身のためリスク回避や無作為の弊害が頻発していた。習近平思想なるものが理念的であるだけに、実際に政策化するに当たってどう具現化するか、などで指示待ちが増え、最高指導部も受動的になり、習総書記の責任や負担の増大は判断ミスや統治の停滞を招くことになりかねない。また過度の集権は、個人崇拝につながり、かつて神格化された毛沢東が文化大革命発動の過ちを犯したが、厳に戒められている個人崇拝や習神格化の前兆さえ見え始めている。
習集権の補強例の前者・武警を中央軍委の管轄下に取り込みについては、実戦力を備える全武装集団を習指揮下に完全に入れることで、暴発は抑制できよう。これまでも武警は、戦車や大砲を備える機動師団も保有する準軍隊であるが故に、国務院(公安部)内の組織であっても中央軍委からも指揮命令を受けてきた。同時にこれまで解放軍(陸軍)の7大軍区が国境防衛とともに全国土の津々浦々に展開・分屯して「党の柱石」として機能を担ってきたが、武警の配備でその動きを監視・牽制(けんせい)することで軍部のクーデターなど暴走のリスクを抑える力にも位置付けられてきた。習軍事改革により、7軍区は解体され、5戦区体制となったが、戦区は地域安定というより国境防衛の統合作戦を主任務とすることから、軍区が担ってきた地方の安定化機能を武警に代替させる狙いも考えられる。
また2015年に習氏は、軍事改革の一環としての兵力30万人削減を唐突に宣言した。その後、陸軍の合成集団軍の縮小・改編は公表されたものの30万兵力削減の進展の公式発表はまだない。これまで習軍事改革は軍部の既得権に切り込む解体的な組織改編で、軍部内に不満や反発が膨らむ中で、この上30万人の兵力削減を求めることは容易ではない。これらから今回の武警の軍内吸収は、1982年の武警切り離しとは逆に武警を抱き込んで、160万人に肥大化した武警兵力を削減対象にして30万兵力削減の公約のつじつま合わせをする目算まで推察できる。
しかし逆に武警を中央軍委下に入れ、軍隊化することで国内外に新たな問題も生じてくる。一つは国際的な問題で、今日尖閣諸島海域に出没する中国の公船「海警」は、もともと武警の海洋辺防部隊の船であり、海上保安庁の巡視船との鬩(せめ)ぎ合いは「警察権の行使」として対処されてきた。武警が軍種化されることで海警船は海軍に準じた軍艦の扱いとなるが、その場合の行動は警察権を超えて国家主権に関わる行動となり、南シナ海も含めて海警が関わる行動は紛争に直結する危険性が生じる。
もう一つは国内問題で、中国内では拡大する経済格差や民族問題などの矛盾から毎日300件近い抗議デモが発生している。この鎮圧は公安警察の防暴隊が担当し、武警はその後拠となるとともに、チベットなどでの大規模な民族騒動には武警の機動師団が出動し、警察行動として鎮圧に当たってきた。これら武警が担ってきた国内治安対処は国務院総理の指揮による行政機能として扱われてきたが、今後は中央軍委の指揮による軍事行動となるわけで、天安門事件のように緊張の高まりや国際化する可能性につながる問題となろう。
集権補強例の後者・全人代で憲法に習近平思想を盛り込む改定の件は、19大で強調された「法治」をより確かにする狙いと見られるが、そこまでの習氏の権威付けは、上述の弊害につながりかねない。さらに習総書記への忖度(そんたく)の行き過ぎは逆に習一強体制の裏に習氏の心理に不安や不信感があることを窺(うかが)わせてくる。実際、習集権の裏にはそれだけ過酷な反腐敗闘争への遺恨が強く、軍事改革で振り下ろされた大鉈(おおなた)による軍内後遺症にも根の深いものがある証左と見てよかろう。習一強体制への補強措置はまだ続こうが「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、習一強体制の前途の暗雲につながる。
(かやはら・いくお)