習近平一強体制の光と影

茅原 郁生拓殖大学名誉教授 茅原 郁生

強国追求で他国犠牲に
過度の礼賛、個人崇拝の懸念

 中国では、5年に1度の最大政治イベント・共産党第19回大会(19大)が10月18~25日の間に開催され、習近平2期指導部が発足した。19大では、習総書記による政治報告でこれまでの南シナ海への領域拡大を評価した上で向後の強国路線が行動指針(戦略)で示され、党規約の改定や中央委員選出などの人事が決められた。3時間半に及ぶ政治報告などから見えてきた強国路線や習近平一強体制の確立などについて光と影の両面から注目点などを整理しておこう。

 第1に政治報告で、「21世紀半ばまでに社会主義強国を建設し、総合的な国力と国際的な影響力で世界トップレベルの国家となる」方針が表明され、習指導部の野望を垣間見せた。そこでは国家統治体系や統治能力の現代化を進めて、「世界諸民族の中でそそり立つ中華民族国家の建設」が目指されている。

 その強国路線は、二つの100周年と結び付けて「世界トップの総合国力と国際的な影響力を保持する社会主義現代化強国を建設」が掲げられていた。それは党創立100周年の2021年までに「小康(比較的ゆとりある)社会の全面実現」を達成し、建国100周年の今世紀中葉には「世界の最前列に立つ強大国建設」を目指していた。

 しかし世界の最前列に立つ強国志向は、ナショナリズムに訴える習版の「中国ファースト」で自国の国益追求が優先され、外交分野で「世界人類の運命共同体」を強調する姿勢と背反しないか、「他国を犠牲にしない」としながら強国追求ができるのか、などの疑念と警戒感が残る。

 第2に習総書記が突出する一強体制について、習総書記は前期政権間に着々と権力集中を進め昨秋の中央委員会では「核心」の地位を確立していた。19大では6割近い中央委員を入れ替えて、その大半を習近平人脈(習派)で占め、政治局メンバーも習派が多く政治基盤を固めた。特に最高指導部である政治局常務委員(常委)会のメンバーは、前18大では上海閥が過半数を占めたが、19大では68歳以上は退任の慣例から習近平(64)、李克強(62)以外は退き、前期で習総書記の官房長役を務めた栗戦書、副総理を務めた汪洋、全外遊に同行した理論家・王滬寧、党の組織部長として人事部門を統括した趙楽際、上海市のトップであった韓正の5人が常委に選出され、習一強体制が完成した。むしろ過度の習礼賛が演出される中で禁断の個人崇拝への逆行などが懸念されている。

 第3に人事で次期指導者と目されていた胡春華(57)、陳敏爾(54)の常委昇格がなく、有力視されていた孫政才も7月に失脚し、第6世代不在の常委会となったことである。これまでは次期トップ候補者は見習い的に常委に名を連ねてきたが、19大で外されたのは3期以降も習総書記続投の布石とみられ、政権移行や長期政権が円滑に進むのか、その動向が注目点となった。

 第4に、世界最前列に立つ強国実現には精強な軍隊が不可欠になるが、強軍の目標は「党の指揮に従い、戦闘に勝利でき、優れた気風を持つ人民軍隊建設」としている。軍事力強化で党に忠誠を誓うイデオロギー軍化と精強軍隊の建設の二兎を同時に追うことができるか、古くて新しい「党軍か、国防軍か」のジレンマに遭遇する軍事改革の方向と進展動向が注目される。

 第5に見てきたような強国志向をまとめた構想が習近平思想として、「習近平の新時代における中国の特色ある社会主義建設」と党規約に追記された。その「総綱」に毛沢東思想、鄧小平理論と並んで習近平思想として個人名が冠せられたことが注目される。習思想は、これまで64冊7000万部発行と言われる習著作に盛り込まれた統治思想であるが、柱となる考え方は治国理政(国政運営)の新理念として「五位一体」と「四つの全面」が指摘されている。しかし習思想は抽象的な理念であり、現実の政策に具現化される段階で混乱は生じないか、習思想が解釈をめぐる権力闘争の種にならないか、今後の現実政策の進め方が注目点となろう。

 その他に習政治報告の中の注目点には、特色ある大国外交として「新型国際関係の構築」が挙げられているが、これまで米国と対等な関係を求めた「新型大国関係」とどこが違うのか。もう一つの超大国・米国との関係をどう舵取りするのか、大きな経済圏構想を掲げる一帯一路戦略との関わり合いなども不透明である。また「1国2制度の堅持と祖国統一」では「台湾独立を阻止する意思と能力がある」と威嚇姿勢を示している。

 見てきたように習氏一人勝ちのような一強体制が始動したが、党大会では全てが習氏の思惑通りに進んだわけではない。例えば習氏はさらに指導力の発揮できる党主席制の復活を求めていたとされながら実現していない。

 中国政治ではこれまで共産党独裁の正統性や執政の正当性が7億人ものネット人口から挑戦を受けてきたのに加えて、集団指導から習一強政治への移行にも多くの難題や重圧があり、習2期政治も楽観は許されない。

(かやはら・いくお)