日本に必要な国家ビジョン

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

信頼と尊敬受ける国に

対中政策での指導力を期待

 日本のマスメディアは毎日のようにトランプ次期米大統領の報道でにぎわっている。トランプ氏の勝利についていろいろな分析が行われているらしい。今までトランプ氏に勝ち目がないと断言していた人々ももっともらしい弁解をし、異常とも言える形で次期大統領の人事などにいろいろ臆測し、過剰反応のようなものを示している。確かに世界に最も影響力のあるアメリカの大統領のことなので、無関心でいられないことは分かる。だが大切なことはその勝利の要因について冷静に分析し、どのように対応するか、そこから何を学ぶかということではないだろうか。

 例えば否定できない一つの重要な要因はグローバリゼーションの行き過ぎとして各国の国内の弱者がその被害を受けたということがある。彼らの現実の生活から湧き出した不安と不満に既成の政治家たちが無関心であったのに対し、トランプ氏はそれを的確に感知し代弁したと言える。グローバリゼーションのインパクトとして多くの国々の老舗が次から次へと倒れ、外国の資本にのみ込まれている現状が顕著に表れている。

 その一例として安倍首相が訪米の際に持参した金張りのクラブを製作する日本の有名なゴルフメーカー「本間ゴルフ」の経営者がいつの間にか中国人に代わっていた。これを中国の報道によって知った時、私は驚きと落胆の気持ちを隠せなかった。中国の報道によると確かに組み立ては日本で行われたのでメード・イン・ジャパンであることは間違いないようだが、その代金の50万円の中の利益は中国人のものになっていたことになる。これは偶然の中の一つであって同様の事実が数え切れないほどあり、その過程で多くの日本の人々が職を失っただろうという点も気になる。

 日本の失業率3%という数字は他の国々と比較すれば大変低いもので、自信と誇りを持ってもよいだろう。だが一方、ジャパンタイムズによれば65歳以上の高齢者による軽犯罪が急増しているという不名誉な事実が明らかになっている。犯罪に走る動機の一つに刑務所に入れば、ただ食いと安心して眠れる場を確保できるからというものがある。その他の理由として孤独さと退屈からというものも挙げられている。今後、高齢者の人口はさらに増え、2060年には総人口の40%が高齢者になるといわれる。これらの人々が今までがむしゃらに働き、今日の社会を支え、発展に貢献し、それなりに満足できる生活を送ってきたのに、将来に対し不安を抱き始めているという事実に対し、政府と社会は物心両面においてケアをすることが急務である。

 確かに安倍政権は今までの10年間で最も努力している。しかし国全体としては長期的展望に関する甘さが目立つ。ケネディ元米大統領の言葉を借りるのであれば、「政府が何をしてくれるのではなく、私たちが何を一緒にできるか」の認識が不十分ではないだろうか。そのためには国家と国民が共に邁進(まいしん)するための明確な国家ビジョンが必要である。これまで日本はさまざまな改革をそのつど行い、危機を乗り越えてきたが、ややもすればパッチワーク的な要素が大きく、国家のグランドビジョンに沿って行われているようには見えない。メディアに誘導され、今までの政治家たちはその場しのぎの対策に奔走してきた。メディアは、本音で取り組む政治家や現状を憂う人々の声を無視してきたように思う。

 私はトランプ次期大統領の政策や人事に対して注意深く観察、分析し、それに対応することは重要であることは否定しない。しかし、それ以上にしっかりした頼れる同盟国として内外から認知される強い日本、信頼と尊敬を受ける日本の構築の方を優先すべきではないかと思う。インド洋、太平洋の安全はこの地域のみならず世界の平和と安定に不可欠である。この認識はアメリカも自国の発展と繁栄のために日本と共有せざるを得ない事実である。従って日本があまり慌てずとも、アメリカの大統領となるトランプ氏は、日本との関係をさらに強固にするほかないということをもう実感していることであろう。

 日本もアメリカも今、暴走しつつある中国の覇権と謀略に対し、現実的に対応すべき策をインドなど他の民主国と連帯し、日本がリーダーシップを発揮することが最良の道であろう。幸いに他のアジアの国々もかつてないほど日本のリーダーシップに期待している様子がみられる。安倍首相の活躍ぶりはアジアのほとんどの国々が歓迎し、初めて顔と名前が一致する日本の指導者が登場したと言える。日本はアメリカが何をしてくれるというのではなく、アメリカと共に自由と民主主義のために何ができるのかということをトランプ次期政権に対し、明確に示すことが求められているのではないだろうか。国家間の関係も指導者同士の信頼関係と波長が合うことが大切である。今回の安倍首相のトランプ次期大統領との会見はトランプ氏の周辺からの情報でも大変有意義であったと聞き、安堵(あんど)している。