習氏批判のネット事件続発

茅原 郁生拓殖大学名誉教授 茅原 郁生

権力集中でも内憂外患

個人崇拝的敬称などを禁制

 中国では来年秋の党大会を控えて政治的安定を揺るがしかねない事態が発生した。去る3月に中国のネットメディアに習近平主席に辞任を求める公開書簡が掲載されるという前代未聞の事件が発生した。言うまでもなく記事はすぐ削除され、中国内報道も抑え込まれた。しかし、その前後にも企業家で優秀党員のブログによる習批判など類似の事件が続発していた。これらの出来事は何を意味するのか、本稿では習主席の政治手法から探ってみたい。

 習主席は、徹底した反腐敗闘争を展開するとともに、近年は領導小組を新設して自らがその長に就くなど権力集中を急いできた。さらに「習近平を核心とする」論が起こり、「習大大」といった表現が氾濫し、総書記賛美歌曲や毛・鄧・習の3人が並ぶ肖像まて出現し、禁断の個人崇拝を思わせる動きが現れた。

 反腐敗闘争では、「刑は常務委員(常委)に上がらず」の不文律を無視して周永康元常委に終身刑を科し、「党の柱石」たる解放軍のトップに昇った郭伯雄大将の軍事裁判などを強行してきた。そこには権力闘争を臭わせる部分もあるが、高官の腐敗も例外ない姿勢に国民は喝采してきた。

 党組織全体の引き締めも図っており、史上最も厳しい党規律処分条例を制定し、そこでは党中央の重要な政策・方針をネット・メディアなどで論議することや党内分派やグループ結成などを禁止している。その上で、党員に「形式主義、官僚主義、享楽主義、贅沢を好む風潮」を厳しく戒め、「三厳三実」など道徳規範を求め、党内を締め付けてきた。その背景には、党幹部の汚職腐敗を放置すれば共産党統治体制の維持は難しくなるとの習主席の危機感がある。重要決定は政治局常務委員会の多数決によるとする慣例では対応できないと見て自らに権限を集中させてきたのではないか。

 そこで、これまでの習近平氏の権力掌握を整理しておくと、周知のように第18回党大会で共産党トップの総書記、軍の統帥権を握る中央軍事委員会主席、翌春の全人代で国家主席に、と党・国家・軍の3権を掌握した。その他に、これまでも総書記が担ってきた中央対台湾工作領導小組長、中央財経領導小組長、中央外事・国家安全工作領導小組長にも就任した。

 新たに2013年には三中全会に向けた中央全面深化改革領導小組長と中央軍委深化国防・軍事改革領導小組長に、14年には国家安全委員会主席、中央インターネット安全・情報化領導小組長に就いている。また、大規模な軍事改革推進の中で4月には中央軍委統合作戦指揮センター総指揮に就くなど、全部で11個の実質的な権力の座を独占している。国家統治上いずれの分野にも指示を出せるポストを握り、特に社会安泰に関わる体制維持部門を重視している。

 この権力集中は、チベット自治区をはじめ幾つかの省級の党委員会から「習近平を核心とする」の呼びかけを招き、その延長で「習大大」の敬称が流行るなどが、戒められてきた個人崇拝として逆に批判を招いている。

 具体的には3月4日に「無界新聞網」という新疆ウイグル自治区政府も関わるネットで「習近平同志の党と国家の指導者としての職務辞任を要求する」が公開書簡として掲載。そこには経済政策から大国主義的な外交への批判、権力の集中やメディア統制への非難など広範な理由を挙げて「総書記再選にふさわしくない」と断じていた。続いて29日には「171人の共産党員」を名乗る辞任要求もネットに現れ、さらに先立つ2月末に著名な大手不動産会社会長や北京市政協委員も務める任志強氏が自分のブログで「人民政府はいつから党政府になったのか」と習近平主席の指導に異議を唱えた。

 この衝撃的な意見に「国家安全法」違反など非難と反発が沸騰したが、直後に習主席の片腕で反腐敗闘争を主導する王岐山常委が『中央規律検査観察報』紙で「千人の褒め言葉も一人の諫言には及ばない」論文を掲載して、「善意のネット言論に寛容と忍耐で対処せよ」の旨の習主席の発言を引き出して事態は終息した。

 このような波乱を経て、その後は習主席礼賛の風潮は禁制され、「習核心論」は「習近平同志を総書記とする党中央」の表現に、「習大大」は禁止となっている。

 なぜこのような事態が起きたのか。その背景には中国経済の停滞とそれを契機に高度成長期の歪みとして環境破壊や経済格差の拡大、失業などへの不満が噴出し、国内不安定化の内憂がある。他方で南シナ海での米中軍事力の角逐の激化、北朝鮮の核実験や台湾での民進党総統の当選など周辺事象が思惑通りに進まない苛立ちに加えてパナマ文書の暴露によるトップ指導者の危機問題などの外患も抱えてきた。

 このように内憂外患の中で中国政治は挑戦を受けている。これは体制変革を求める大きな運動の萌芽で共産党独裁統治の「終わりの始まり」なのか、習近平氏への権力集中や個人崇拝に対する権力闘争レベルの反発なのか、なお判然とはしない。前者であれば、中国政治はこれから大変なことになり、集団指導体制では対応が難しく習氏が絶対的リーダーを志向する可能性は強まろう。後者であれば、来秋の19回党大会での「習近平体制」は揺るがず、習主席の権力集中も民主集中制を堅持する中で相対的な優位を狙う程度に収まろう。

(かやはら・いくお)