台湾・蔡次期政権の課題

茅原 郁生拓殖大学名誉教授 茅原 郁生

中国が緊張高める恐れ

「現状維持」でリスク回避を

 台湾では5月20日から8年ぶりに民進党・蔡英文政権が発足する。周知のように本年1月の総統選挙・立法院選挙結果の意義は、台湾住民の主体性意識が定着し、いわゆる「台湾であること」が確認されたことである。それはまた馬英九政権によって進められた対中傾斜に歯止めがかかるとともに国民党路線の凋落の始まりともなろう。さらに、6回目の総統民選で再び民進党政権となるなど政権交代が民主的手続きで実現し、民選総統の4人目で初の女性総統が誕生するなど台湾における民主主義の成熟が見られたことである。

 しかし、民進党政権は東アジアの安定にも関わる難しい課題を抱えて、前途多難が予測される。第一の課題は、中国への難しい対応が迫られることで、まさに「問われる対中政策」である。蔡氏は「強大な中国に追随すること」を拒否して選挙に勝利したが、それはあくまで中台関係を「両岸関係」と見たものであり、今後は「中国は一つ」を認めないままで安定した中台関係の構築ができるのか、が懸念される。

 実際、中台関係の現実的な選択肢としては「台湾独立」も「中台統一」も難しく、今日のような「現状維持」のシナリオに限られてこよう。しかし、それも台湾が希望する「現状維持」の状態になるかは今後の中台確執の中で決められる。その場合、蔡新総統は、中国が強く求める「九二共識(『一つの中国』を認めるがそれぞれに解釈するというコンセンサス)」に対しては曖昧なままで、党綱領が掲げる台湾独立の旗も降ろせないでいる。その結果、中国からの強圧とともに安定を求める台湾世論や米国など国際社会からの圧力にも遭遇することになる。

 現に中国国営通信・新華社は「台湾地区指導者選挙」として国民党朱立倫氏の落選だけを伝え、「いかなる形式の『台湾独立』に断固として反対」と強く釘を刺している。その上で習近平主席も「九二共識」合意は「核心部分」と強調した。「現状維持」のため蔡新総統は「九二共識」にどう対応するのか、まず就任演説での重い難題への対応姿勢が注目される。

 第二の課題は馬政権の失政とされた経済政策の建て直しである。馬総統の公約だった経済成長率6%の達成はできず、失業率も12%に増加するなどが支持を失う原因となった。世界的な経済不振にあって台湾経済も不動産価格の高騰や格差の拡大など問題は深刻化しているが、蔡新総統に経済回生の切り札があるわけではない。さらに、最大貿易相手として台湾GDPに占める中国貿易の比率は20%を越えるなどの現実があり、統一を拒みながら対中依存を強めるジレンマにあって台湾経済の建て直しは容易なことではない。

 第三の課題は、台湾アイデンティティーの確立である。これまで台湾では人口の80%を占め本省人と、20%の少数派ながら政治やメディアなどを握る蒋介石とともに大陸から渡来してきた外省人とに大別され、それぞれに帰属意識を持ってきた。今日の現実は、「台湾人意識」が大多数を占めているが、中国経済への依存の深まりや100万人もの台湾企業家が中国に在住する中で台湾人のアイデンティティーが問われてきた。加えて若者世代を代弁して台頭した「時代力量党」や立法院を長期占拠した「ひまわり学連運動」などの新勢力をまとめて、これから台湾人のアイデンティティーをどのように確立するかが注目される。

 さらに安全保障に関わる重要な問題も浮上する。昨秋の習・馬首脳会談が裏目に出た国民党の惨敗に中国はメンツを傷つけられただけでなく「中国離れ」への反発が強まっている。加えて米国のバーンズ前国務副長官の訪台や新たな米台協力関係の増進など米国の蔡氏への接近にも苛立っている。これらは南シナ海から太平洋地域で米中間の角逐が強まる中で、中台間の緊張激化にも連動しよう。

 先の核安全保障サミット時の米中首脳会談でも、南シナ海問題では中国は核心的利益として一歩も譲っておらず、米中角逐の激化は台湾海峡の緊張に波及する可能性もある。特に中国としては太平洋正面の「接近阻止・領域拒否(A2AD)」戦略の観点から、危機事態に軍事力を前面に出してくるリスクも考えられる。中国にとって、台湾は地政学的に東シナ海と南シナ海を睨む要衝、第1列島線防衛戦略の要石、太平洋に向けた浮沈空母に利用できるなど台湾統合の価値は大きいからである。

 中台軍事力バランスでは、既に台湾海峡での航空優勢は中国優位になり、また実験空母・遼寧号に続く2隻目の空母建造など中国優位が進んでいる。これに対して台湾側も潜水艦の国産化や米国から昨年末に8年ぶりの駆逐艦などの武器取得と軍事力強化に努めている。このように台湾海峡をはさんで中台軍事バランスを巡る軍拡競争のリスクも浮上するなかで、「力で現状変更」を常套手段とする中国が軍事的な緊張を高めてくる可能性は否定できない。

 このように今次台湾における政権交代は、台湾海峡の安定にも連動しており、中台関係の緊張排除が重要になってくる。地域の安定のために中台関係の「現状維持」による平穏がますます重要になる。わが国の対応も「台湾はわが国にとって基本的価値観を共有する重要なパートナーである」との外相声明に沿って、関係国との連携を強化して東アジア情勢の安定に尽力することが必要になろう。

(かやはら・いくお)