中国版KGB登場に警戒を
強圧さ増す3中全会後
近代化を果たし独裁維持へ
今、中国で何が起きているか、正確に把握している人はなかなかいないと思う。三重四重の鉄のカーテンに閉ざされた秘密国家であるためである。だが、それでも中国から漏れてくる様々な情報や現象を見る限りでは、中国の内部は今かなり酷い状態になっている。
国家の権威の象徴である天安門広場で爆破事件が起きるなど、国内数カ所で爆破事件が起きている。これ以外にも地方から命がけで中央に直訴しようと駆け込む人々が絶えない状態にある。勿論、彼らは地方の当局に身柄を渡され、あえなく返されるのみならず、その後、公安当局などから耐え難い拷問に掛けられ、身柄を拘束されたまま親族にも会えない状態が続いている。
共産党第18期中央委員会の第3回全体会議(3中全会)が厳重な警戒のもと開催されたが、”小平の改革開放以来何かと注目されるような決議や新たな政策などを出してきたが、今回だけはそのような目新しいことは見受けられない。あえて言うならば強制労働収容所の廃止が決まったことと新たに国家安全委員会の設置が決まったことくらいである。
強制労働収容所の廃止に関しては習近平自身をはじめ太子党の人々にとっては、本人たちの親が毛沢東時代失脚し追放され、中には強制労働を強いられた人物もいるため、苦い思い出があって、その廃止に踏み切ることに関しては躊躇(ちゅうちょ)することはなかっただろう。ただ忘れてはならないのは、今現在も習近平体制のもと、数多くの人々が政治犯として自由を奪われ、獄中生活を強いられ、中には再教育と称される強制労働収容所まがいのものが存在し、今後も存在し続けるであろうことだ。
特に彼らが言う、いわゆる少数民族や分離独立活動家と称する人々に対する徹底した抑圧はこれで止まるわけではない。むしろチベット、ウイグル、内モンゴルなどにおける公安当局の取り締まりは一層厳しくなっているのが現状である。
チベットにおいてはダライ・ラマ法王の写真のみならず説法など言葉に対しても徹底した調査の対象になっている。また、当局から目を付けられた人々に対しては様々な理由をつけ逮捕している。例えば焼身行為を行った人々に協力したとか、同情したことさえも逮捕の立派な理由になっている。東トルキスタンにおいては髭(ひげ)を伸ばしていることでさえも宗教的行為としてみなされ、逮捕の対象者になっている。
強制労働収容所はかつて自分たち中国人をも含めた非人道的な政治洗脳教育の一環であって、その汚名は外したとしても本質的に廃止したのではなく、むしろ周辺民族に対してはより一層厳しい状況があると言わざるを得ない。
もう一つ今回の3中全会の成果として発表されている国家安全委員会に関しては、日本のマスコミなどは日本の安全保障会議の設置に刺激されて、それに対抗するための策であるかのように報じているが、それは建前上の言い訳であり、本音はむしろ国内の様々な反政府活動や国際的に広まっている反政府活動に対処するため、かつてのソ連のKGB(国家保安委員会)を参考にしたものである。
つまり、日本の国家安全保障会議は従来の情報収集および情報分析の集中化を図り、日本を取り巻く環境に対応するための受動的な性格のものであるのに対し、中国が目論んでいる国家安全委員会はより能動的なものであり、国内の治安維持並びに反政府活動に対し、国内外における監視と弾圧を強めるだけでなく、他国に対して洗脳工作、分断工作などを強化し、積極的に中国の覇権主義、侵略主義を促進するためのものである。
即ち”小平の四つの近代化以来、一貫して目指してきた中国の経済、政治、科学技術および軍事面において推し進めてきた改革が、ある程度成果を上げた自信が裏付けとなり、よりアグレッシブな姿勢を示している。
また、一方においてはこの近代化、特に経済発展に伴って、著しく目立ってきた貧困格差に対する底辺の人々の不満と怒りが噴出し始め、一党独裁体制そのものの存在が危うくなっており、それを押さえる目的がこの国家安全委員会の秘められた目的と思ってよい。また、対外的にも強気な姿勢を示さなければならない窮地に置かれているので、日本をはじめ周辺諸国に対し、様々な形で洗脳工作、分断工作そして侵略工作がより強く推し進められる可能性がある。
故に、日本国をはじめ周辺諸国は過去の経験に基づき十分に備える必要があると考える。日本の財界や一部の洗脳された言論人はあたかも日本が挑発行為に出ているように演出しているが、国民は実際誰が挑発しているかを冷静に見極めることが大切である。
勿論、不要な挑発および無責任な言動はいかなる場合でも誰に対しても良くないが、現在中国や韓国による挑発的行為、例えば日本の「英雄」を暗殺した韓国の「英雄」の銅像が第三者の中国で建立されることは意図的な挑発行為以外の何ものでもない。このような無礼に対しては毅然(きぜん)とした態度で臨む必要があるだろう。