賛否あるネパール11月選挙

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

制度理解が法治の一歩
民主主義が「身勝手主義」に

 この夏、私はネパールとインドへ出掛けた。目的はネパールの動向の研究である。2001年の、あの悲惨な王室の惨劇以来、政治が不安定な様相を抱えたままになっている。私は少年時代、ネパール系の人々の多いインドのダージリンで過ごした。そのお陰でネパール人の友人も多く、かつては言葉も不自由なく暮らしていた。今も流暢ではないがコミュニケーションには困らない。

 日本にいてもネパール人のコミュニティーとも長く付き合ってきた。かつてヒマラヤ地域においては、チベットを筆頭にネパール王国、ラダック王国、ブータン王国、シッキム王国、ムスタン王国、ザンスカール王国などの王国が存在していた。ネパール以外の国々は基本的にはチベット文化圏の王朝であり、同じ宗教を信仰していた。またネパールにおいてもヒマラヤ近辺の多くの人々はチベット系であり、長い歴史と文化を共有している。

 だが、残念なことに今日、国家として存在しているのはネパールとブータンだけである。ネパールは、故ビレンドラ国王の下1990年代初頭、民主的政治による立憲君主制を試みたが、思うようには行かなかった。それから約20年、政治が混乱するような状況が続いている。

 02年10月に前国王の後を継いだ弟のギャネンドラ新国王が自らクーデターを起こし、王党派の首相を任命した。しかし、それに反発する各政党の強い抵抗に遭い、約3年間紆余曲折した。07年には、議会内の7党の連合と議会外で武力抵抗活動をしていた毛沢東主義派とが和解し、連帯を組んで国王の独裁体制と対決した。この七つの政党の連合による共同闘争で民主化運動が高まり、毛沢東主義派もこれに加勢した。

 その結果、06年4月、ギャネンドラ国王は統治権を国民へ移譲する決意をし、議会の復活を発表した。政党側に首相を推薦するよう要請した結果、議会派を中心とするコイラ政権が誕生した。毛沢東主義派に対してはテロ指定解除を行った。劇的な変化として、議会は満場一致で国歌の変更と政教分離を可決した。

 これによってヒンズー教を国教とするネパールの特質ある制度は終止符を打つことになった。同年11月、政府は毛沢東主義派と無期限の停戦を誓う「包括平和協定」に合意し、翌年の6月までに制憲議会選挙を実施することを約束した。翌年1月、下院は暫定憲法を発布した。その後、下院解散、12月暫定議会はネパール政府が連邦民主共和国になる旨を網羅した暫定憲法改正案を承認した。

 08年、制憲議会の投票が行われ、毛沢東主義派が第一党の地位を獲得したが、過半数を得るには至らなかったので、難産の末に誕生した新体制はネパールを連邦民主共和制であることを宣言し、ここで王制に終止符を打つこととなった。しかし、この制憲議会は自らの任期を延期しても、新しい憲法制定に同意できないまま今年解散され、11月19日に選挙を行うことになった。

 ところが、毛沢東派の分派などが、この選挙は議会派政党の合意のみで物事が進んでいるとして強く反発。全ての政党が対等な立場で仕切り直す必要があるとして、11月の選挙に抵抗していた。

 今回の私の目的は、この選挙が本当に年内に実施できるかということを確認したいからであった。私は約10の政党のリーダーや言論人、ジャーナリスト、タクシー運転手など一般人と意見交換するチャンスに恵まれた。ネパールには現在140~160程度の政党が存在すると言われている。ある意味ではまさに民主主義の価値観の下で国民が政治結社を自由に結成する権利があることを示している。

 その一方、民主主義が身勝手主義に変貌しているような印象も受けた。また、政党によっては自分の思うような結果が出なければ再び野に下り、武力抵抗さえ促すような有様を見ると、民主化も民主主義制度を理解しルールに従って行わない限り、厄介なものであると痛感した。

 この状況の下での選挙に反対の立場を取っている指導者の話を聞いても、それなりの説得力があった。彼らに言わせると、何のための選挙で、その結果、何をし、いつまでにするかという期限が無ければ選挙をする意味がないという。今回会った人々から受けた共通の印象は、ネパールの政治が一日も早く安定し、他のアジアの国々と同様に経済の発展に取り組みたいと熱望していることだ。

 しかし、そのように行かない姿には、個性豊かな政治家たちのエゴと、そこに微妙に絡む中国とインドの覇権争いに巻き込まれている小国の悲哀を感じる。国民はインドの傲慢さと、中国の他国の主権を無視して土足で乗り込む干渉にうんざりしている様子であった。

 日本は欧州連合(EU)などの国々と歩調を合わせながら、ネパールの主権を尊重しつつ、選挙へ誘導し、安定と繁栄に寄与しようと努力している。今、ネパールにとってはまず何よりも選挙の結果を国民の声として、法治国家の基礎作りをするためにもリーガル・マインドに目覚め、法が定着することが先決である。人口3000万ほどの自然豊かな美しい国が、一日も早く政治が安定し、自らの運命を自らの手で切り拓き、かつての平和な生活に戻ってくれることを切望している。