再来する東京オリンピック

太田 正利評論家 太田 正利

開催決定は努力の賜物
日本の成熟を世界に示そう

 「前畑頑張れ、前畑頑張れ……」の絶叫、次いで「前畑勝った、前畑勝った、前畑優勝、前畑優勝……」。200メートル平泳ぎ決勝――1936年ドイツのベルリン・オリンピック「民族の祭典」――の実況放送(河西三省アナ)だ。ドイツのマルタ・ゲネンゲルと前畑秀子(結婚後兵頭)との決戦で日本は沸きに沸いた。

 筆者は翌年の小学校入学をひかえていたが、ラヂオにかじりついていた記憶がある。この時の競泳メダルは日本が金4、銀2、銅5の計11、次いでオランダが金4、銀1、計5だった。まさに水泳日本の面目躍如たるものがあった。

 次に感慨深かった日本選手の活躍は1964年の東京大会で、ここでは河西昌枝(結婚後中村、この3日に亡くなられた)に代表される女子バレー「東洋の魔女」の登場があった。当時の欧州諸国やソ連(現ロシア)は国家代表だったが、日本の場合は大日本紡績(現ユニチカ)貝塚工場という一企業のチーム(日紡貝塚)だった由。柔道では金を期待されていた神永昭夫が無差別級の決勝でオランダのヘーシンクに敗れたのを記憶している。同東京大会では金16、銀5、銅8という結果で、メダル獲得数は米・ソに次ぐ第3位だった。

 ところで、次々回の五輪は2020年7月~8月に開催される。その開催都市に東京が立候補したのだが、ほかにトルコのイスタンブール、スペインのマドリードなどの対立候補があった。東京は1回目の投票で1位通過、ここでマドリードがイスタンブールとの2位決定戦に敗れて姿を消した。東京は、イスタンブールとの決選投票で60対36で圧勝した。9月8日早朝のことで、筆者はベッドに横たわりながらも、日本の勝利を祈っていた。

 高円宮妃殿下その他の日本のプレゼンターの英・仏語に耳を傾けた(因みに筆者は英・仏語、特にその発音については当該国民並みと高く評価されている!)。滝川クリステルが上手いのは当たり前だが、他の日本人の努力ぶりは高く評価されて然るべきである。兎に角「お目出度う」と申し上げたい。9月9日付各紙夕刊は、「列島歓喜」、「東京に希望の灯」、「あの感動東京で」などのコメントが躍動した。

 他の側面をみると、存続が危ぶまれていたレスリングの存続が決まりほっとした(日本のレスリング部門の隆盛を妬む向きの陰謀かと疑っていた)。そもそも古代ギリシャのオリンピックでは筆者の認識が正しければ、レスリングは重要な種目だった。この点は割り引くとしても「夢つながった」というレスリングの吉田沙保里や伊調馨、米満達弘選手等々の喜びに同調する。

 ところで、手放しで喜んでばかりいられない。東京都の猪瀬知事は「本当の勝負はこれから」と挨拶された由だが、問題は山積している。来年2月までに組織委員会が立ち上げられるようだが、大問題の一つは東日本大震災からの復興加速がある。

 また、新国立競技場着工と完成、選手村の完成、首都高速道路晴海線完成等々……会場整備に4500億円、また、経済効果につき東京都は直接的な経済波及効果を3兆円とし、観光産業の成長、広範なインフラ整備まで含めれば150兆円規模に達するとの民間予測もある由(日経9月9日付夕刊)。

 筆者はもともと「体育系」ではない……小学生の頃から「体操」の授業は苦痛ですらあった。ところが、中学に入ってからの柔道・剣道は、単なる「体操」の域を超えて、日本精神に連なるものがあるとの認識を深くした。国技とされる相撲については、玉錦、武蔵山、双葉山時代からの大のファン、深入りした占領軍のお達しで昇段試験を阻止された弓道では、源三位頼政公の鵺退治の話が興味を惹いた。筆者が、日本人として国際スポーツの中で健闘する日本を応援するのは当たり前だ。

 さらに、問題は大会を東京に開催することだけではない。如何にして天下に東京、否、日本を売り込めるかに懸かっている。かつて、文明の中心と自負していた欧州から見て「東の極み」の島国だった日本が、「黒船」の来航で目覚め、その結果、明治維新を達成するのみならず、日清、日露の戦争を乗り切り、第1次世界大戦後のヴェルサーユ体制の中、世界の大国にのし上がった。そして、第2次大戦における敗戦……しかしながら、この間、東南アジアとは確固たる信頼の基盤を築いた。筆者は現役中在勤したインドネシア、ビルマ(現在はミャンマーと呼ばれている)においてその感を深くした。まさに、「徳孤ナラズ必ズ隣有リ」(論語里仁第四)だ。

 かつての大日本帝国ならぬ民主主義国日本が、世界平和の祭典を首都東京に開催した半世紀前の東京から、如何にして発展し、成熟したかを世界に示す絶好の機会である。日本国の周辺には必ずしも平和に徹しているとは客観的には評し得ない国々がある。そして、憲法上軍備が基本的にタブーと見られているこの国が、新しい「平和民族の祭典」を開催するのは誠に楽しみである。国民こぞってこの祭典の成功に寄与しようではないか!

(おおた・まさとし)