中国語教育が及ぶアフリカ
南アで影響力が急拡大
日本は信頼の蓄積を生かせ
アフリカにおいて、20世紀後半には、欧州諸国の植民地化が徐々に衰退し、多くの国が独立していった。それまでの経過をたどると、同大陸は、英、仏、独(第一次大戦まで)、伊、ポルトガルなどの欧州諸国により分割されていった。(筆者の専門とする)南アフリカは、オランダ、次いで英国に支配されていた。当時、タンザニア、ザンビアを通る「タンザン鉄道」というのがあった。いうまでもなく、中国主導の鉄道だが、故障等問題があった。
実は筆者が在ザンビア大使のとき、カウンダ大統領より、この鉄道には欠陥が多くて困っているが、何とか日本に助けてもらえないかとの依頼があった。筆者は多少困惑を感じ、躊躇したが、思い切ってこう返答したように記憶している。「ここはやはり最初の施工者たる中国に依頼したら如何でしょうか」。実はその後本件がどうなったかは記憶にない。多分、転勤のためザンビアを去ったからではないか。
筆者の外務省における最後の外国ポストは南アだった。当時、南アは人種差別を根幹とする「アパルトハイト」制度を採用していた。ただし、日本人は「名誉白人」の待遇を受け、かかる差別の圏外にあった。当時、中国人といえば台湾系で40人程度だったと記憶している。筆者は、当時のデ・クラーク大統領に「今や中国本土は共産党の支配するところなので、然るべく対処の必要がありましょう」と進言しておいた。今やこれも昔話となってしまった。
ところで、最近、最大都市たるヨハネスブルクから、大切な情報が飛び込んできた。すなわち、南アにおいて、明2016年1月から、公立学校の選択科目の一つとして中国語が導入される(読売新聞10月23日付)というのである。
現在、南アには中国企業の進出が活発で、東アジアからでは最大級となる35万~40万人の中国人が暮らしているという。南ア政府としては、中国重視の政策を展開することにより、経済関係の一層の強化を目指す考えのようだが、南ア国民の間では中国の影響力の拡大を懸念する声も上がっているようだ。南アにおいて中国語は公立小学校の4年から12年の生徒が選択し得る新科目となる筈だ。
これまでの語学の選択科目はドイツ語など計9科目だった。ただ、中国語を教えることが可能な教員が少なく、したがって中国から今後5年間に毎年200人の教員を受け入れるとともに、年間100人程度の南アの教員を中国に留学させる見込みだという。中国は、南アにとって最大の貿易相手だし、中国語の習得は国民にとっても利益だということだろうか。それに、「中国語は将来絶対に役立つ」と喜ぶ面々も多い。
昨年12月、南アのズマ大統領は、「中国における南ア年」の開幕式典における演説において「中国は輸出の10%、輸入の15%を占める最大の貿易国である」と述べている。中国はアフリカ経済を先導する南アにおける拠点作りを重視し、アフリカ全体への自国の影響力浸透をも図っている。
事実、中国の後援により南アは新興5箇国のBRICS首脳会議に参加したし、同時に南アも、中国が主導する「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」への参加を決めるなど、中国との結びつきを強めている。南アにおける在留中国人は、前述の「台湾系40名」から現在大陸系35万ないし40万とされている。何倍になっているのか!? これと比較して日本人は? わずか約1400人である。
ただ、中国語よりも母国語の教育充実を訴える声も高まっているようだ。そもそも南アには、アフリカーンス(最初の欧州からの移民はオランダ系で、彼らの言語がオランダ語の方言ともいうべきアフリカーンス)、英語、その他公用語が11あり、ズールー語の使用人口が22・7%で最多だが、教員不足などで母国語の教育を受けられない向きが多いということだ。
この関連で、南ア民主教職員組合のドロビ事務局次長は「基礎ができていなければ、外国語を学んでも意味がない…」と指摘している趣。また、組合関係者も「中国の言語による『植民地化』だ」と反発している向きもあるようだ。
いずれにせよ、わが国としては、今まで堅実にアフリカに影響力を強化してきた努力をこれからも継続し、現在まで積み上げてきたアフリカ諸国の信頼をさらに強力なものとすべく精進することが期待される。――「任重くして道遠し(論語・泰伯第八)」――筆者はアフリカについては、限りない愛情を持っている。実際にケニアでは参事官、ザンビアおよび南アでは大使だった。なお、アフリカについては、いろいろな言い伝えがあるが、地獄の1丁目、2丁目に例えられる深刻な国々もある中で「……南アフリカは天国、ケニアは地上の楽園」と言われている。「私はアフリカにおいて天国と地上の楽園にいたのですよ!」。筆者は講演などで、この話を引用すると皆大笑いする。
いずれにせよ、日本の大衆は気が付かないかも知れぬが、アフリカには石油その他の鉱物資源が多々あり、また、インド洋、大西洋を結ぶ大陸南端にも位置している。スエズ運河が開発される前には、ヨーロッパ・アジアを結ぶ海路の要所でもあった。フランシスコ・ザビエルをはじめ、ポルトガル、オランダなどから来航した人々の話は尽きない。
(おおた・まさとし)






