97年度の緊縮財政 楽観的見通しで大失敗

戦後70年 識者は語る(5)

元日銀理事、元衆議院議員 鈴木淑夫氏 (3)

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 ――87年10月に起きたブラックマンデーは、ニューヨーク市場は株価、債券相場、ドルが下がるというトリプル安でした。

 世界大恐慌が起こるかもしれないということで、先進国は協調して、果敢な金融緩和と果敢なドル買いを行い、ドルのフリーフォールが止まる。世界恐慌は回避できた、政策協調の勝利だとしたが、この政策協調の勝利は日本にとっては、とんでもない敗北の始まりだった。

 日本経済は景気が回復して物価が上がっているのに、金利を上げてはいけないということになってしまったからです。それで起きたのが、バブルの発生です。ブラックマンデーが起きてから、日本はドルが強くなる89年まで金利を上げられなかった。

 その2年間は、とにかく日本銀行は金利を上げられないから、当分の間は超低金利ということで、株は上がるぞと証券会社は株を勧める。ひどかったのが地価で、自分の本業と関係のない土地投機を企業が始める。個人も用がなくてもマンション買い、地価と株価の大バブルが発生してしまう。

 一つ悔しいと思うのは、ドイツが実に上手にその後、金利を少しずつ上げて正常に戻して、バブルの発生を防いでいる。日本はバブルが大きくなっているのに、低金利のまま何もしなかった。

 僕はその頃、日銀理事でした。当時の内情をいうと、宮沢喜一大蔵大臣と澄田智日銀総裁がG5に行くと、米国は絶対に金利を上げてもらっては困ると言い、宮沢さんは几帳面にそれを守って、澄田さんに絶対に金利を上げちゃいかんぞ、と言うわけです。僕らは、景気は過熱してバブルが進んでいるから金利を上げないと大変です、といくら言っても、澄田さんは宮沢さんとの約束を守った。

 これは、もう少し深読みすると、あの頃は冷戦の時代で日本は米国の核の傘の下で生きていたわけです。だから、絶対に米国にたてつくことはできない。宮沢さんの政治家としての判断はそう。現に、金利を上げようとして市場の金利の高め誘導をやっただけでブラックマンデーになってしまった、もう一回、あれをやったら米国は本当に怒るぞと。それで日本はそのままにしたわけです。89年に入り利上げを始めたが、時すでに遅しで、その後、ご承知のようなバブルが極端な状態になり、利上げからさらにバブル退治に行くわけです。

 ――地価と株価のバブル崩壊ですね。

 これにより、金融機関と企業のバランスシートで資産側が大きく減価した。日本中の企業も金融機関も債務超過傾向になり、その結果、金融機関はカネを貸さない、企業は投資をできない、くびを切る、企業も金融機関も一斉に萎縮する。バランスシートリセッションです。これは、昭和2年まで繰り返し起きていた金融恐慌と基本的には同じです。

 それでも、日本経済は94、95、96年の3年間に不良債権は抱えたままだが、本業が立ち直ってくる。民間需要主導型でこの3年間は、成長率にして3%弱ぐらいまでに回復した。

 しかし、ここでもう一度、大失敗がある。財政赤字が大きくなったので、財政再建のために一挙に財政赤字を減らす緊縮予算を橋本龍太郎首相が97年度に組んだのです。消費税率を2%上げて5兆円の増税、特別所得減税の打ち切りで2兆円の増税、それに国民の社会保障負担を2兆円上げ、国民負担として9兆円上げた。さらに公共投資を4兆円カットし、全部で13兆円の財政赤字を一挙に縮める予算を組んだ。景気が立ち直っているから大丈夫だと。

 後で分かったことですが、大蔵省が橋本首相に挙げていた不良債権の額は実際の3分の1、小さく見ていた。経済企画庁の97年度経済見通しも非常に楽観的過ぎた。これは官僚に乗っかり過ぎた、橋本内閣の大失敗です。後になって、橋本さんは間違えたと自分の誤りを認めています。官房長官だった梶山静六さんも雑誌に、俺たちは全部官僚からウソの情報をもらっていたと書いています。それから、もう一つ、企画庁というか役人が怪しからんことをしたと思うのは、僕が97年1~3月の予算委員会で指摘した通り、97年度に入ったら、景気は明らかに13兆円の重しで悪くなっているのに、アジア通貨危機のせいだという。とんでもない誤魔化しです。多少はありましたが、アジア通貨危機で日本の成長率や輸出は落ちてはいないんです。

(聞き手・床井明男)