信頼に足る自衛隊指揮官
戦後70年 識者は語る(9)
旧陸軍第18軍参謀、元参議院議員 堀江正夫氏(3)
――創設当時の自衛隊に対する風当たりは強かったと聞く。
国民の自衛隊に対する感情は厳しかった。あくまでも自衛隊であって、法的には軍隊でない、軍人じゃない。当時は税金泥棒って言われた。息子が東京の小学校で先生から自衛官の息子だというんでいろいろ言われたこともあった。しかしその後、災害派遣とかいろんな機会を通じてだんだん国民に認知されてきて、愛される自衛隊、信頼される自衛隊と国民から評価されるようになっている。
――発足当時の自衛隊をどう評価するか。
警察予備隊から発足当時の自衛隊は、指揮官のレベルがまだ低かった。高級指揮官になるほど自分に甘えて、部下に甘えて、世間に甘える。自分は偉い存在だから、部下には要求しても、自分はやってもいいんだという考えの人が多かった。それでは部下がついてくるはずがない。自分には厳しくして部下には信頼と愛情を持って接する。本当に信と愛で結ばれた軍隊でないといざという時には役に立たない。そういう精神は今は心配ないと思っている。今の指揮官は、むしろ旧陸軍のいいかげんな軍人よりもしっかりしている者が多い。
隊員も真面目だ。僕がそう感じたのは、初めて部隊勤務に就いた昭和37年、都城の連隊長になった時だ。夜、密かに敵に接近して敵の中に突っ込んでそこを占領する夜間隠密攻撃をした。その訓練を中隊がやるのを、連隊長になって一番最初にみた。雨上がりの演習場だ。水で半分浸かったような所をほふく前進して敵寸前になると突っ込むのだが、僕ら士官学校の生徒でも、特に夜で雨が降ったりしたら、尻を上げてあまり濡れないようにごまかしながらやったものだ。中隊長に黙って行って隊員を見ていたが、彼らは全部、言われた通り泥んこになってやっていた。
――旧軍と自衛隊の一番の違いは何か。
旧軍の場合は、陸海軍はまったく別個の存在だ。大東亜戦争の時も初めのいい時は協力したが、状況が悪くなると力を合わせようという考えはなくなった。自衛隊の場合、初めから国土戦、狭い所で陸海空が力を合わせて戦うことになるなら、一つの指揮官の下で兵力整備もやるのが一番だ。実際にそういう議論も防衛庁内で出たが、陸海空それぞれに考えがあり、米軍との関係もあって、なかなか実現できなかった。
やっと十年ぐらい前から、陸海空の自衛隊が一つの指揮官の下で一つの統合部隊として一つの任務をやれる体制が出来た。従来の統合幕僚会議が、統合幕僚監部になった。作戦運用等については統合幕僚監部が陸海空幕僚長の手から外れて全てやれる格好になった。その点は非常に進歩した。例えば尖閣諸島で何かあるとしても、しっかり任務を与えて、必要な兵力を与えてやれば、陸海空が力を合わせて目的を達成できる体制ができてるし、そういう訓練もできている。そういう意味では、昔の教訓を汲んでいい体制になっている。
――実際の戦闘を経験した立場で自衛隊に対して思うことは。
指揮官は立派でよく勉強している男が多いが、やっぱり戦争を実体験していない。戦闘の実相は知らない。平素から訓練をしっかりしていなければいざという時に力を発揮できない。それはその通りだが、戦場では平素訓練している時にはまったく予想もできない状況にぶつかる。その時にどう対応するかは指揮官次第だ。だから、戦略戦術の原則に基づく訓練はしっかりやるが、同時に、少なくとも指揮官の頭の中では、それを応用して、状況に応じて訓練を想定していくという対応ができなければいけない。
また、国内戦で政治が絡み合うと本当に指揮官は困るだろう。いろんな状況の変化に応じて、指揮官が与えられた任務に基づいて与えられた兵力を使ってやろうという時に、政治家がいろいろくちばしを入れる可能性が強い。するともう支離滅裂となる。本当に戦争の教訓を生かし、政治家も学ばなければいけない。











