民主派の道路占拠、予想外の長期化に焦りも
香港誌「前哨」編集長 劉達文氏に聞く(上)
香港行政長官選挙の普通選挙改革をめぐり、制度の民主化を要求する学生ら民主派が幹線道路の占拠デモを50日以上続け、香港警察はバリケードの一部撤去を開始することで再び強制排除に乗り出し、混乱している。香港の現状や台湾の政局、中国政府の動向について香港月刊政治誌「前哨」の劉達文(リュウ・ダーウェン)編集長に聞いた。
(聞き手・深川耕治、写真も)
中国政府は流血避け催涙弾“指示”

1952年、中国広東省東莞生まれ。東莞華僑中学から78年、恵陽師範科学学校(現・恵州大学)に入学し、中文系(国文科)、マスコミ学科を専攻。81年1月香港へ移住。同年3月、月刊誌「争鳴」で勤務。現在、香港月刊誌「前哨」の編集長。ペンネームは蘇立文、暁沖、羅汝佳など。
――9月28日から香港で始まった「雨傘革命」を通した幹線道路占拠デモが持久戦から強制排除のトラブルへ拡大したのは、中国政府にとって予想外と言えるか。
今回のデモはいろんな世代の不満が一機に爆発し、中国共産党も先行きが見えず、予想以上に複雑と見ている。香港は1989年の天安門事件以来、連綿として民主化運動が続いているが、天安門事件当時の民主化リーダーも、現在の学生団体リーダーも世代を超えて一体化した形だ。
――中国政府は1997年7月の香港返還以降、このような複雑な状況に直面するのは想定内だったのか。
香港返還前の段階では中国が香港を完全統治するのは困難であるため、一国二制度の50年間という猶予期間の中で中国が香港の民主化レベルまで引き上げ、中国と香港が政治的にうまく融和するようにしていくというのが”小平の考え方だった。その本音を中国政府はおくびにも出さない。たとえて言えば、小学校の校長が複雑で高度な大学の総長になったようなものだ。香港は社会制度、政治経済、文明が中国本土とは異なっていて、現在も成長発展し続けている。本来、英領だった香港は台湾と連携して中国本土を民主化していくべきだったが、英中の駆け引きの中で中国に帰還し、中国政府が無理な融和を図ろうとしたことが複雑さの要因だ。
――「前哨」11月号では中国の習近平国家主席が香港の占拠デモに対して天安門事件のような流血の再来だけは避けよと指示したと報じているが、中国政府は香港の占拠デモについてどんな指示を出しているのか。
香港、マカオ問題の総責任者は張徳江全国人民代表大会常務委員会委員長(国会議長に相当)だ。党内序列3位の張徳江氏は北朝鮮の金日成大学留学経験のある強硬派で武力行使も視野に入れたが、習近平国家主席が「流血は避けよ」と指示した。習主席が党内権力闘争とは直接関わらない香港問題で強硬手段を使わないのは、第二の”小平(天安門事件で武力鎮圧を指示)にだけはなりたくないということだ。父親である故・習仲勲元副首相が天安門事件での武力行使に否定的だった家系的背景もある。
――9月28日、香港の警官隊はデモ隊に対して87発の催涙弾を打ち込んで国際的な批判を浴びた。催涙弾を打ち込む指示を出したのは中国政府か、香港政府の状況判断からか。
香港政府に催涙弾を独自判断で打ち込む勇気はないだろう。中央政府からの直接指示がなければ決断できない。警官隊の当初からの動きを見ても、中央政府からの即決即断で数千人規模のデモであれば逮捕拘束しながら、すぐに収束できると甘く考えていた。ところが学生らの家族、民主派支持の人々が学生たちを支援し始めて占拠エリアが5カ所まで広がり、警察は押さえ込むことができなくなった。
――警官隊が再度、催涙弾やそれ以上のものを使う可能性はあるか。
そう簡単には使わない。唯一、暴動となったら使うだろう。商店を破壊したり、放火したり、略奪行為が発生するような事態だ。学生の動きを見れば、ありえないが、暴力団などが裏で動けば可能性はゼロではない。占拠デモに反対する親中派は暴力団を暗躍させながら封じ込めようとしている。