夢と理想語り冒険を
政治と行政に物申す
栃木県議会議員 板橋一好氏に聞く
先の通常国会以来、世間の注目を集める加計学園問題は、2人の文科省高官出身者が「行政が歪められた」「歪められた行政が正された」と真っ向から対立するなど、政治と行政の関わり方に疑問を投じている。栃木県議会で12期、歴代最長となる43年以上議員を務め、住民と行政の間に立って県の外郭団体整理や産業廃棄物処分場の設置などの難題に取り組んできた板橋一好氏に体験に基づく政治と行政の実情や在り方について聞いた。
(聞き手=政治部・武田滋樹)
「若年寄」になった今の議員
歴史と有権者に学べ
最近は政治家の問題が噴出しているが、政治家として最も大切なことは何か。

昭和15年生まれ。同36年、日本大学短期大学工科卒業後、株式会社板橋組入社。同42年、栃木県小山市議会議員。同46年、栃木県議会議員。以来、当選12回を数え、議長など歴任。平成25年、全国県議会議長会から永年勤続功労者(勤続40年)表彰。
政治家として大事なのは、自分自身の考え方、自分自身の主張をしっかり持って、それに従って行動することだと思うんですね。そのために一番大切なことは歴史に学ぶことだろうと思っているんですよ。そこがしっかりしていないと、目先のことや感情に流されて判断を誤る可能性が非常に高い。
国の歴史的な問題でいえば、国の一番大切なものは外交防衛、そして2番目は教育ですから、経済は3番目、4番目なんですよね。ところが戦後、自民党が経済の復興、経済を優先させるために、外交は相手の言うことを「はい、はい」とみんな聞いちゃう。教育も日教組なり左がかったマスコミの言うことを放置してきた。いわゆる慰安婦の問題にしたって、南京虐殺の問題にしたって、まず相手の意見を尊重して経済活動をうまくやろうとやってきた弊害が出てきている。
歴史的な視点で見た今の日本の問題は何か。
今の日本は、中国の歴史でいえば宋の時代だと、私は言っています。文化経済は発展したけれど、一番肝心な国防力が弱くて結局、遼や金に攻められ、最後には元に滅ぼされた。宋の考え方はお金で解決しようというもので、それで国を守っていこうという形だったが、ちょうど今の日本と同じような姿ではないかと感じているので、歴史をしっかりもう一度みんなで見詰め直していくのが必要だ。私の主義の基本はそこらへんだね。
加計学園問題で政治と行政の関わり方にスポットライトが当たっているが。
政治家には政治家の立場があって、それは行政の立場とは全然違う。例えば、加計学園の問題でも、前川さんが「行政が歪められた」と言っていますけども、やっぱり政治の役割というのは行政を正す、行政が間違っているところがあれば、それを正すのが政治の力です。そうじゃなければ政治家の存在意義はないわけですからね。
お役人さんは確かに気の毒で、減点方式の世界で生きていますから、99良いことをしても一つ失敗すればそれで決められちゃう。だから良いことはしなくてもいいから悪いこともなしだと、野球でいえば投手戦です。1点取らなくてもいいから1点もやらないということで勝負する。ところが、われわれ(政治家)は5点取られたら6点取り返せばいい、四つ失敗しても六つ成功して差し引きでプラスになればいいという、野球でいえば打撃戦です。そういう意味ではもともと感覚が違うけど、やっぱりお役人さんというのはガードを固める。それで政治家が口出すことが悪いというふうな風潮になったら、それこそ出てくるのはお役人天国で、お役人さんは面倒くさいことは何もやらなくなる。それが通っちゃったら一番困るのは一般の国民であり県民です。そういう意味でわれわれの存在価値があるので、積極的に行政には介入をしていきます。
法律とか条令を曲げろとは言えませんが、解釈の範囲内で可能なことはあるはずです。特に一番行政を難しくしているのは県でいえば取扱要綱、省庁でいえば次官通達です。こういうものは何の法律的根拠もない。しかし、お役人さん方は自分がそれを利用すれば面倒くさくなくて済むものだから、それを矢面に立てて「それはできません」「それは難しいです」と言っている。それを認めていたんでは、いつまでたっても行政は前に進みません。
そのような役割を果たすために政治家はどのような努力が必要か。
直(じか)に皆さんにお返しのできる部分もあるけども、私なりの考え方を進めていきたい部分については、有権者の人、後援会の人が付いてきてくれないことにはどうしようもないので、今年、少なくとも100カ所くらいは県政報告会をやっています。やっぱり有権者の人と接し、有権者の望んでいること、考えていることを把握するということは、われわれにとっては基本の基本でね。それを一つでも二つでも、実現できることがわれわれとしての存在理由にもなってくるわけです。
最近の議員をどのように見ているか。
今の人たちは勉強はしてますねよ。知識はたくさん持っています。しかし、それを本当に生かせるかどうかということになると、ちょっと弱いのではないか。例えば、議長選挙なんかだって、私が議長になった頃は、本当に力の結集でのし上がっていくような時代だった。今は黙って当選回数と年齢の順でやっちゃってますから。結局、若い人たちが冒険をしないですよね。
例えば、ここに宇都宮に対抗できるような中核都市をつくっていきたいとか、国道4号線を連続立体交差化をして準高速道路にしていきたいとか。こういうことを言うのは、私ぐらいなんですよね。今の若い人たちは、まずそういう夢物語を語りたがらない。超現実的で、私たちは悪口として「若年寄」と言う。何か言ってそれができなかったら大変だから、できそうなところだけしか言わない。あとは抽象的な話、福祉社会を充実させるとか。そういう数値的なものとか具体的な目標のない目標しか持ってくれない。
それは世代の違いという理由だけなのか。
国会議員もそうだけど、やっぱり小選挙区制の弊害ですよね。昔は中選挙区制ですから、同じ自民党でも国会議員同士が切磋琢磨(せっさたくま)してきた。それに付随している県会議員もお互いに競争してきた。今の国政選挙は選挙区で立候補すれば黙って当選できるシステムになっていますから、国会議員も地元のことでは努力をしない。国会議員が仲良くやってるものだから、県会議員も仲良しクラブになっちゃってね、そういう意味での競争というのがなくなっていますからね、エネルギーとしては非常に低下してる。もうちょっと若い人ほど冒険をして大ぼら吹いて、それに向かって努力をしていってもらいたいですね。





