被害拡大防ぐため緊急事態法不可欠
地方行政からの憲法改正論
千葉県議会議員 斉藤 守氏に聞く
先月、日本国憲法が施行70年を迎えた。安倍晋三首相が「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」とし、憲法改正に意欲を見せている中、地方行政の現場から教育の混乱を排除し緊急事態に対処するためにも「憲法改正が不可欠」との声が上がっている。千葉県会議員の斉藤守氏に持論を聞いた。
(聞き手=池永達夫)
家族の概念規定を
自治会評決などで不都合も
2月、千葉県議会で憲法改正をめぐる論議を展開したそうだが、地方議会で憲法をやるのは珍しい。

さいとう・まもる 昭和28年2月10日生まれ。同志社大学卒。衆議院議員秘書、船橋市議会議員を経て平成23年より千葉県議会議員。千葉県議会健康福祉常任委員会委員長。所属団体は船橋商工会議所、船橋市倫理法人会、日本会議。家族は妻と1男2女。
現憲法が地方行政を行っていく上で、現実と合っていなかったり、障害になっていることを訴えたかった。知事に対しては、憲法を決めるのは国民の権利であり、その権利を行使するには国会が3分の2で発議しなければできないわけで、全国知事会などを通じて国に働き掛けるよう要望した。
憲法改正論議で主張の一番のポイントは何だったのか?
まず一つは9条の問題だ。憲法9条第2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定して戦力不保持を謳っているが、わが国には自衛隊が存在する。その自衛隊のことを学校教育で教える。これは県の教育委員会が関係してくる話で、政府答弁では政府は主権国家として自衛のための必要最小限の実力を保持することは認められていることから自衛隊は憲法違反にはならないと解釈しているから、そう教える。一方、自衛隊が違憲の存在だという話があるということも教えなければならない。教科書にもそう書かれている。
しかし、これだと子供たちからすると混乱するばかりで、一体何が正しいのかという話になる。結局、自衛隊は憲法に明記されていないから、教えるのに苦労しているのが現状だ。教育現場が困っているのだから、きちんと直せということだ。
緊急事態法の話も?
そうだ。
大規模災害が発生した場合、県では千葉県北西部直下型地震や房総半島東方沖日本海溝沿い地震などについて被害想定を作り、これに基づいたさまざまな災害対策を講じている。しかし、阪神・淡路大震災の際は、兵庫県知事の自衛隊出動要請が遅れた。また東日本大震災の時には、放置車両や災害廃棄物などの私有財産の撤去に躊躇したため、被害の拡大や復旧作業に遅れが生じた。
こうした事例を見ると、被害想定に基づいてさまざまな災害対策を講じても、想定を超えるような事態が発生した場合、対処しきれない場合も出てくる懸念がある。
私有財産の制限について言えば、東日本大震災直後にはルールがなかった。このため、被災地では自動車やがれきを処分しようとする市町村と住民との間でトラブルが絶えなかった。こうした混乱から政府は大震災の発生から2週間後、私有財産の処分に対する指針を出し、その後、法律を改正して現在に至っている。
仮に今後、首都直下型地震や東南海地震など、これまでの想定を超えるような大規模災害が発生した場合、既存の法律では対応できない問題が起きるかも知れない。これまで以上に、国や財産権や移動の自由、金融経済の問題を含め、国民の権利を制限せざるを得ないような事態が起きるかもしれない。
そうした混乱を回避する緊急事態法の制定は、地方政治をあずかる現場からすれば必要不可欠の事柄だ。
その他には?
家族の問題だ。家族や親族というのは人間が生きていく上で、最も根源的で自然なつながりであり単位であり、社会や行政といった他人との関わりよりも強い絆で結ばれているはずだ。
一般的には子供は幼児期から小中高と自分が生まれた家庭で、家族に囲まれ成長していくが、社会生活を営む上で最低限の共通認識として家族とは何か、どうあるべきなのかを憲法にちゃんと規定すべきだ。
具体的な問題があるのか?
例えば自治会などの認可地縁団体だが、総会での表決では、規約で定めれば世帯単位での表決も可能だ。しかし、認可地縁団体の設立時には構成員全員の個人名が必要だ。このため生まれたばかりの赤ん坊から、寝たきりの高齢者まで、つまり、自分では字が書けないはずの人が名前を連ねなければならないといった不都合なケースがある。そしてその後、死亡したり結婚して移動が生じても、実際にはいちいち名簿の変更をしていないケースがほとんどだ。結局、法が定める個人単位での表決権1人1票という原則は、現実的にはできない相談だ。
こうした問題が生じるのは、法律があくまで個人単位を原則として作られており、世帯を原則とした考え方になっていないためだ。
これも本をただせば憲法上、個人のみが主体と見なされ、家族や世帯という概念が定められていないからだ。世界の憲法を見ると、多くの国で個人と並んで家族に関する条項が入っている。こうした家族について、わが国でも憲法の中にはっきりと規定すべきだと思う。
結局、憲法違反にならないよう作られた法律の不備を、各団体が定める規約によって実態に擦り合わせ、やり繰りをしているにすぎない。これは不思議な話だ。本来であれば、個人とともに家族についても、社会生活を営む上での重要な概念として憲法でも規定し、実態に合うようにすべきだ。
これは教育現場での家族観にもつながっていく。教育基本法には家族の規定がない。これも最高法規である憲法に家族とは何か、どうあるべきなのかなどの規定がないからだ。家族の在り方が多様化して、子供たちがさまざまな家庭環境で育っている今こそ、家族について憲法の中に明記すべきだと思う。
憲法に家族規定を入れるだけで、戦後の行き過ぎた個人主義を修正できる橋頭堡(きょうとうほ)になる。





