対馬から見る東アジア 本紙主幹・黒木正博


 4月中旬、長崎県対馬の最北端にある韓国展望所から対岸の釜山を望んだ。この日は快晴で海も穏やかで、うっすらだが釜山市街の輪郭が浮かび上がっていた。釜山までは49・5㌔。対馬から福岡までは147㌔だから、はるかに韓国に近い、まさに国境の島である。

烏帽子岳山頂から見渡す絶景。無数の山々が複雑な地形を形成している=長崎県対馬市

烏帽子岳山頂から見渡す絶景。無数の山々が複雑な地形を形成している=長崎県対馬市

 実は、対馬は今回が初めてではない。1983年、当時の中曽根康弘首相による日本列島の「不沈空母化」発言で、宗谷、津軽、対馬の3海峡の封鎖作戦が大きな話題となった。その折、最前線の国境の島、対馬を取材して以来である。

 ◇注目浴びるトンネル構想

 米ソ冷戦の真っただ中、ソ連の極東における軍事力増強は目覚ましく、有事の際に外洋にソ連艦艇が展開する上で3海峡をどうコントロールするかは日本の安全確保にとって死活的なテーマだった。1905年の対馬沖での日本海海戦(東郷平八郎率いる連合艦隊とバルチック艦隊)はその戦訓を物語っている。

 38年ぶりの訪島だが、当時のソ連脅威論一色から、今は相対的に北朝鮮、中国の脅威が強まっているなどの変化はあるが、防衛の最前線という戦略的要衝の地に変わりはない。

 対馬は南北82㌔、東西18㌔と細長く、しかも全土の9割が200~600㍍級の山々で覆われ、稲作ができる平地に乏しい。陸上自衛隊の警備隊は約350人と中隊規模だが、こうした地形の特異性を生かした山岳戦やゲリラ戦に対応している。さらに海上自衛隊の海上防備隊、航空自衛隊の警戒管制基地(海栗島)があり、3自衛隊が連携して国境の守りを固めている。

 そんな対馬が再び脚光を浴びている。釜山市の市長選挙で、保守系野党の候補が選挙公約として九州北部と韓国南部をトンネルで結ぶ「日韓トンネル構想」推進をぶち上げたのだ。結果は、保守系野党の朴亨埈(パクヒョンジュン)候補が圧勝、当選した。「文在寅政権与党による釜山の新空港建設の公約に対抗する形だっただけに、どこまで本気なのか」(在ソウル外交筋)という疑問の声はあったが、公約に掲げて当選した意味は大きい。

 日韓トンネル構想自体は、戦前に日本政府の国策として福岡から釜山を経由して北京に至る「高速(弾丸)鉄道計画」として論じられてきたことはあった。だが、現在では一民間団体がわずかに試掘や調査研究を行っているだけだ。今は日韓関係が冷え込んでおり、こうした構想に特にわが国の方では無関心あるいは冷ややかに見る向きが多い。

 確かに、ここ対馬では一時は年間40万人を超す韓国人観光客が訪れた。今でこそ日韓関係の悪化やコロナ禍で閑散としているが、圧倒的な韓国人観光客を見込んだ韓国資本によるホテルや旅館などレジャー施設の買収や土地買い占めが問題になった。自衛隊の海上防備隊に隣接したホテルを韓国人が買い取るなど安全保障の観点から国会で議論にもなっている。こうした事例はきちんとした法的規制やルールを設けていくことが不可欠だろう。

 だが一方で、対馬から釜山を眺めてみると、北東アジアさらに背景の広大な大陸に向けたもう一つの戦略が見えてくるのではないか。中国は今、「一帯一路」政策でユーラシア大陸をまたぐ国家戦略、いや中国共産党の覇権拡大に邁進(まいしん)している。それは当然、東の朝鮮半島へのルート延伸にも当てはまる。その時日本はどう対応するか。

 ◇半島・大陸との橋渡し役

 古代から半島を経由した大陸との関係は、日本にとって常に安全保障上の課題だった。「もう半島とは関わらない方がいい」では済まされない。地続きで中国の圧倒的な圧力を直接受ける韓国の地政学的事情も日本は理解する必要があるだろう。在韓国防衛駐在官も務めた大串康夫氏(元航空総隊司令官)は「戦略的に韓国を中国に取り込まれないようにすべきだ」と強調する。

 そうした戦略的な枠組みをどう構築できるかだ。日韓だけに照準を合わせると、互いに疑心暗鬼に陥りかねない。わが国は島嶼(とうしょ)国家であり、領海と排他的経済水域では世界第6位の海洋大国でもある。ここは自由主義の価値観を共にする米国はじめ英仏など欧州諸国、さらには日米豪印(クアッド)、台湾が戦略的に連携して後押しすることが考えられる。そのチョークポイントが対馬といえる。日韓関係はそうした脈絡の中で位置付けられれば、トンネル構想も切り札の一つとして有効ではないか。

 対馬は、朝鮮通信使の往来に代表されるように、古来、朝鮮半島と日本との橋渡し役を担ってきた。そうした同島の歴史的特性を活(い)かす上でも、単に離島振興という次元ではなく、日本がユーラシア大陸を見据えた国際的ハブ島として戦略的に位置付けていくビジョンが必要だろう。