共産党の26回大会、「躍進」でも党勢挽回できず
戦後躍進を伏せる暗黒党史
日本共産党の第26回党大会が15日から18日まで行われ、同党機関紙「しんぶん赤旗」が報じた。昨年の参院選のためか、「この間の党躍進の息吹がみなぎり、涙あり、笑いあり、明るく、楽しい、素晴らしい感動的な討論…」(19日付1面)などの表現が目立つ。
大会決議(同日付)には、同案の修正・補強箇所に傍線が引かれている。冒頭、昨年の参院選に触れ、「1960年代終わりから70年代にかけての“第1の躍進”、90年代後半の“第2の躍進”に続く、“第3の躍進”の始まりという歴史的意義を持つものとなった」の一文の前に最初の傍線「1961年に綱領路線を確立して以来」の修正が入った。
これによって共産党が隠したいものが浮かび上がった。昨年参院選を優に上まわる「躍進」が「61年」以前にあったのだ。同党が合法化された戦後初の衆院選で5議席(46年)、47年に4議席、それが49年衆院選で35議席に躍進した。ゆえに40年代後半を“第1の躍進”にしてもいいはずだ。
しかし、これを伏せたのは暗黒の50年代に触れてしまうからであろう。共産党は講和条約発効の時期に武装蜂起し、警官を射殺、派出所や保守系国会議員の家を襲撃するなど全国各地で流血事件を起こした。革命のために人を殺す怖い共産党と恐れられ、52年衆院選で35議席が0になった。
当時、共産党に武力革命路線を指示したのは、ソ連および今もなお武力重視の軍拡路線をとる中国共産党だ。徳田球一書記長は中国に潜伏し、同書記長の死亡公表(55年)から激しい党内抗争を経て、「革命」を61年綱領で「民主主義革命」とするようになったが、「自共対決」の原点には資本主義体制打倒の闘争本能を持つ過激性がある。
涙や笑いでイメージチェンジしたいなら、また、戦後生まれがほとんどの政権与党に「過去の誤り」を詰問するなら、戦争より昔ではない暴力路線について、その犠牲者や被害者の遺族・家族ないし子孫に党代表者が公式に謝罪や償いをするべきだ。
他に党勢拡大の部分で傍線の行数を多く割いている。決議採択時点での最新の党勢が総括されたためだが、「党員現勢は30万5千人」「『しんぶん赤旗』の読者は……現在、日刊紙、日曜版読者をあわせて124万1千人となっている。前党大会比で日刊紙87・5%、日曜版85・0%の到達である」と述べている。
10年1月の25回大会では党員40万6000人、機関紙は日刊紙・日曜版合わせ145万4000部だった。このうち党員は12年5月に「実態のない党員」約9万人を除き、同年5月1日時点で31万8000人と報告されていた。今回の大会決議でも「『実態のない党員』問題を解決した」と指摘しているが、その時点と比べても1万3000人減っていたのである。
「赤旗」日刊紙は購読料値上げを発表した11年7月に「24万人余に後退」していたが、今回さらに後退したはずだ。機関紙部数減少は党財政に直結している。
解説室長 窪田 伸雄