かつて自由な「革命拠点」 今 言論弾圧の対象に


中国共産党100年

香港 皮肉な巡り合わせ

 【香港時事】中国共産党創立100年の節目を7月に控え、習近平政権に対する異論排除の動きが加速している。香港では民主活動家の実刑判決が相次ぎ、中国政府に批判的な香港紙・蘋果日報(リンゴ日報)は廃刊に追い込まれた。かつて清朝に対する革命活動の拠点として現代中国の礎を築いた香港は、最終的に革命の勝利者となった共産党の弾圧対象となる皮肉な巡り合わせに翻弄(ほんろう)されている。

香港大学のキャンパスに立つ孫文像=19日、香港(時事)

 中華圏共通の英雄である「国父」孫文は19世紀末、英植民地だった香港で革命思想を育み、中国の辛亥革命を主導した。香港島中心部にある「孫中山(孫文)記念館」の説明板には、言論の自由が認められ、経済や交通の発展が著しかった当時の国際都市・香港の環境が多様な理想を持つ活動家を引きつけ、政治結社を組織する土台となったと記されている。闊達(かったつ)に意見表明できる香港の空気こそ、現代中国建設の陰の立役者というわけだ。

 香港返還が決定した1980年代、改革開放によって資本主義的体制への道を歩みだした中国にとって、諸外国への窓口の機能を果たせる香港の一国二制度は都合の良い仕組みだった。しかし、その後中国が目覚ましい経済成長を遂げたことで風向きが変わる。2018年に域内総生産(GDP)で隣接する広東省深圳市に抜かれるなど、香港の「役割低下」が指摘される中、自身の権威強化を図る習近平国家主席の目に、香港は意に沿わない政治活動が野放しの都市と映ったのは想像に難くない。

 「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、革命の時だ)」。19年に頻発した反政府デモでは、孫文が通った香港大学(旧香港西医書院)も、学生と警官隊の攻防の舞台になった。催涙弾から身を守るガスマスクが学内の孫文像にも付けられた。

 習氏は20年以降、本格的な香港統制に着手。同年6月末の国家安全維持法施行により、民主派に対する取り締まりが強化された。今年3月には、全国人民代表大会(全人代)常務委員会が決定した選挙制度見直しで、立法会(議会)をはじめとする統治機構からの民主派排除が決定的となった。

 多様性を受け入れることで革命の拠点となった香港は、共産党政権に従順で画一的な「愛国者」のみが表舞台に立てる都市に変貌しつつある。