防衛大臣の統率力 求められる卓越した人格

惜しい岡部陸幕長辞任

 「民信なくんば立たず」で、安倍内閣の支持が低下している。孔子が言ったように国民が信用しなくなれば国の政治は成り立たないのだ。このところの加計学園問題に加え、陸上自衛隊の南スーダンPKO派遣部隊の日報問題に対する国民の疑念が払拭(ふっしょく)されたとは到底思えない。

 中でもPKO日報問題では、日報の廃棄を巡る防衛省・自衛隊内の混乱が、端無(はしな)くもシビリアンコントロール(文民統制)の揺らぎを露呈してしまったことは、由々(ゆゆ)しき事態と言わざるを得ない。

 報道によれば陸自側は「陸自内に日報のデータが残っていたことを稲田前防衛相へ報告した」と言うのに、稲田氏は「陸自から日報が見つかったという報告があったとは認識していない」と頑(かたくな)に否定している。

 先月28日に公表された特別防衛監察の結果は、「岡部陸幕長が稲田氏に対し、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなく、稲田氏から公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった」というもので、これではどちらが本当なのか全容解明とは言えまい。

 陸幕長とは陸自ただ一人の大将たる陸将で、旧軍の陸軍参謀総長である。筆者がこれまで謦咳(けいがい)に接した陸軍士官学校や防衛大学校出身の陸幕長はさすがに誰もが武人として、また人格的にも景仰に値する人物であった。

 旧陸軍の教令『統帥綱領』には「将帥」(大軍の指揮官)について、「いやしくも将に将たるものは高邁(こうまい)なる品性、公明なる資質及び無限の包容力を備え、堅確なる意志、卓越せる識見及び非凡なる洞察力により、衆望帰(き)向(こう)の中枢、全軍仰慕(ぎょうぼ)の中心たらざるべからず」とある。

 つまり人格が統率の根源的な構成要素で統率力の基礎となるものであり、指揮官はまず誠実でなければならないということだ。嘘(うそ)や偽りや、ごまかしや言い逃れ、卑怯な行為は最も戒むべきものである。人は誰も信頼のない指揮官に命を預けようとは思わないからだ。

 筆者は岡部陸幕長とは面識はないが、その声望は夙(つと)に聞き及んでいた。略歴を見ても防大卒業後、小隊長、中隊長、連隊長、団長、師団長、方面総監と、指揮官職を極めたのも、若き幹部自衛官の頃から人格陶冶(とうや)に励んだ結果、その卓抜した統率力が評価されてのことであろう。

 岡部陸幕長が稲田氏へ報告したことは事実だと確信する所以(ゆえん)は以上にある。今後の活躍が期待された彼が陸幕長就任からわずか1年で退官することになるのは、我が国の防衛上、大きな損失であってまことに惜しい限りである。

資質無きは代えるべし

 無能で資質無き大臣は代わればいい。内閣が支持を失えば政権を譲ればいいのだ。政治家の責任はその場限りだ。しかし、自衛隊は如何なる時も国家を守る責任を放擲(ほうてき)することは許されないのだ。

 防衛大臣は内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する。防衛政策に通暁していることは元より、23万人の実力部隊を真に統率できる「将帥」たるべき卓越した人格が求められる。それが本来の文民統制というものであろう。3日、内閣改造で就任した小野寺五典防衛大臣にはこのことを肝に銘じて任務を果たしてもらいたい。