孔子廟問題 最高裁で決着へ
那覇市の無償提供 二審も違憲判決 福岡高裁那覇支部
沖縄県那覇市の公園内の土地を久米至聖廟(孔子廟)を運営する特定団体に無償で提供していることの違憲性を争う住民訴訟で、福岡高裁那覇支部はこのほど、使用料免除は政教分離の原則に反し違憲とする一審判決を支持した。被告、原告ともに判決を不服として上告したため、今後、最高裁での決着を待つ。(沖縄支局・豊田 剛)
原告市民「翁長氏の失政」/那覇市「宗教的施設でない」
孔子廟は、中国から渡来し琉球王朝の繁栄に寄与した久米三十六姓の子孫らで組織する一般社団法人久米崇聖(そうせい)会が管理する。控訴審は、差し戻し審に引き続き、使用料免除は無効だと判断。久米崇聖会については、「神格化された孔子や四配(顔子、子思、曽子、孟子)を崇(あが)め奉る内容の釋奠祭禮(せきてんさいれい)という宗教的意義を有する行為がなされている」ことは、「儒教が宗教であるといえるか否かにかかわらず」、宗教団体であると認定した。
那覇市は、「沖縄独特の歴史や文化を継承するための施設で、宗教性はない」と反論していたが、認められなかった。公園内の孔子廟の土地は現在も、無償で提供されている。
孔子廟は、故翁長雄志氏が市長だった2011年、松山公園への設置を許可し、13年に完成した。16年には孔子廟の入り口近くにはクニンダテラスという歴史展示施設があり、久米三十六姓の歴史などを知ることができる。
那覇市は、那覇港クルーズ船ターミナルから、「那覇福州友好都市交流シンボルづくり事業」として15年に建てられた龍柱、孔子廟、中国式庭園・福州園と続く久米大通りと松山公園のエリアを、「中国との交流拠点としての歴史性、文化性、精神性に基づいた、地域社会に開かれた公園・まちづくり」の拠点と、都市計画マスタープランで定めている。
被告の那覇市は7日までに上告した。城間幹子市長は「孔子廟は久米三十六姓の方々が学問塾のような形で造った所を再生したので、歴史的施設と捉えている」と強調。「宗教的施設ではない」と反論している。
一方、原告側も判決を不服として上告した。市が久米崇聖会に対し2014年4月~7月までの使用料として約181万円を請求しなかったのは違法だと判断した一審判決を一部変更。施設に市公園条例などに基づき、城間市長に使用料免除に関する一定の裁量権があると判断し、金額を明記しなかったからだ。
原告代理人の徳永信一弁護士は、「請求額に市の裁量を認めた点に不満がある」とし、政教分離について最高裁がどう判断するか見極めたいと話した。また、近い将来、新たな住民監査請求を行い、過去1年間分の使用料を請求すると同時に、孔子廟の明け渡しを求める訴訟を起こす考えも明らかにした。
原告の「住みよい那覇市をつくる会」代表・金城テルさんは、「監査請求をしてから6年越し、しかも、地裁に続いて勝訴できてうれしい」と喜んだ。「沖縄の歴史の中で儒教が宗教なのか学問なのかはっきりしていなかったが、孔子廟が宗教施設ということでけじめをつけることができた」と意義を語った。
金城さんは、「公園内に無償で孔子廟を建てさせたのは、翁長雄志市長(当時)の失政と断じざるを得ない」と強調。一括交付金を利用して建てた龍柱も翁長市政下で完成した「負の遺産」として撤去を求めていく考えを示した。
那覇市の計画当初から問題提起していた評論家の篠原章氏は、「最初はお金の使い方が不明瞭だと指摘していたが、裁判では政教分離の憲法違反まで踏み込んで判決したのは画期的。久米崇聖会という有力士族の末裔(まつえい)団体を優遇するという良くも悪くも沖縄の古い体質をあぶり出す形になった」と指摘。「那覇市政の中国との関係において歴史的なくさびを打つ形になった」と評価した。
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久米至聖廟(孔子廟)
琉球国時代の1676年に、現在の那覇商工会議所周辺に建立され、40年後には県内初の公立学校明倫堂も併設された。1944年の10・10空襲で建物、神像、蔵書を焼失し、75年に那覇市若狭に再建された。2013年には、那覇市松山公園内に遷座した。久米至聖廟の敷地面積は約400坪で、総事業費は約2億6000万円。若狭には至聖廟の施設は残っている。












