語り継がれる「為國作見證」、台湾の李登輝元総統が22日来沖
台湾の李登輝元総統が6月22日から25日まで沖縄県を訪問する。24日には、沖縄戦などで日本人として戦って犠牲になった台湾出身者を慰霊する「台湾出身者慰霊顕彰祭」に出席する。(那覇支局・豊田 剛)
揮毫碑の除幕式に出席へ
日本軍人として終戦を迎えた李氏は「為國作見證(国のために実践せよの意味)」と石碑に揮毫(きごう)しており、その揮毫碑の除幕式も行われる。
実現すれば、李氏の来日は2016年7月、石垣市の訪問以来、2年ぶり。総統退任後、9回目の来日となる。95歳と高齢のため、石垣島訪問が最後の訪日とみられていたが、同碑を管理する一般社団法人日本台湾平和基金会(理事長=西田健次郎元県議)が、碑への揮毫を依頼したことをきっかけに来沖する運びとなった。23日夜には、糸満市のホテルで記念講演をし、24日夜には在日台湾人組織である琉球華僑総会と懇談する予定だ。
沖縄戦では、多くの台湾出身者が戦死しており、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある石碑「平和の礎(いしじ)」には34人の名前が刻まれている。先の大戦では20万余の台湾出身者が日本軍属として戦い、約3万人が犠牲になり、約1万5000人が行方不明とされている。
公園内には韓国出身の戦没者を祀(まつ)る「韓国人慰霊塔」が1975年に建立されたが、台湾出身者の慰霊碑「台湾之塔」が建立されたのは2016年のことだ。塔には以下の碑文が刻まれている。
「時代が変わろうと、人が自らの命を犠牲にして他者を救わんとした行為は、民族や国家の如何を問わず、人道の範として称され語り継がれなければなりません」
「李登輝元総統の沖縄訪問を歓迎しよう」
一般社団法人日本台湾平和基金会理事長 西田健次郎
第6回台湾出身者慰霊顕彰祭が24日午後2時、沖縄県糸満市の沖縄県平和祈念公園内の台湾之塔で斎行されます。「日本人よ武士道を忘れるな」と我々を叱咤(しった)激励くださる李登輝先生より、国の為に尽くす事を称える意味深い揮毫を頂き、新たな碑を設置する運びとなっています。
祭事に先立って行われる揮毫碑の除幕式には、李登輝先生が直々に参加することになりました。光栄この上ないご配慮に我々、関係者は感謝・感動しながら不休不眠の準備をしているところです。
慰霊の日の23日の午後5時より、糸満市のサザンビーチホテルで李登輝閣下による記念講演会と記念晩餐会を開催いたします。この機会に、ぜひ李登輝先生の謦咳(けいがい)に接して頂きたく、広くご案内を申し上げます。ご参加いただける場合は、21日までにサザンビーチホテル(電話098-992-7500)までご一報ください。
思えば1960年頃、沖縄が超大型台風に襲われ、田畑が全壊した時に、台湾政府からタンカー船で「蓬莱米」の種もみを贈呈され、県民の食糧と生命を助けられたことが記憶に残っています。
恩納村のムーンビーチホテルの丘にご本人の遺言で奉られている方治先生の分骨墓があります。方治先生は沖縄の有能な若者を台湾に留学させ、医者が40人ほど誕生している由、文具、教科書の贈呈など、沖縄にとっては大恩人であります。
また、台湾・基隆の和平島の海人公園が見事に整備されており、そこには海の神様として、久高島(南城市)出身の内間長三という海人(漁師)の銅像が奉られています。台湾と縁が深い沖縄尚学院創設者、名城政次郎先生のご厚意によるものです。内間氏はカジキ漁、追い込み漁、夜光貝の採取加工を台湾に伝授した人物です。
さらには、日本統治下になるまでは、資源も少なく、農業も成り立っていない台湾は「外界の島」(中国側の呼称)でした。日本人土木技師の八田與一氏は台湾中部の嘉義にグリ石(玉石)による堤防と世界一長い用水路を配したダム建設を行い、台湾は農業国家に成長しました。その功績を称(たた)える八田記念公園を台湾政府は建設しています。
これらの2大事業を成就させたのは、台湾・澎湖島出身で琉球大学に留学していた本協会副理事長の許光輝氏や、県内建設大手の国場組元台湾所長の李雪峰氏らの赤誠の努力によるものです。
一番近い外国で、歴史的にも人的交流があり、沖縄への特段の理解がある台湾です。東アジアの政治環境は生臭い中ではありますが、沖縄県民がさらに台湾との絆を深めることによって、真の兄弟姉妹となりたいものです。