沖縄県・座間味村 好調な観光が人口減食い止め


 沖縄県那覇市から西40㌔。座間味、阿嘉、慶留間の三つの有人島で構成される座間味村は人口900人程度でありながら、年間、約10万人が訪れる観光地。2014年に座間味島を含む慶良間諸島が国立公園に指定されると、入域観光客数はうなぎ登りだ。

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 大半の離島は人口減少傾向が顕著だが、観光が好調な座間味村は辛うじて人口流出を食い止めている。労働人口に占める第3次産業は92・4%で、そのうち過半数は観光産業に携わる。

 県過疎地域振興協議会の理事を務める宮里哲村長は、「観光産業はこれからも座間味村を発展させていく上での軸になる。産業振興ができなければ雇用が減り、人口が減り、負のスパイラルに陥る」。それを食い止めるのが村長の仕事だと自覚している。

 2011年後半は、米同時多発テロ事件、さらにはリーマンショックの影響で観光客は激減した。国内外の景気と治安が左右するだけに、好調さを維持できる保証はない。それに加え、季節的な要因も加わる。夏場に観光客が集中する「季節重労働」といった点、台風などの天候の影響を受けやすい点から、村の産業・雇用が安定しにくい課題も抱えている。

彌永恭成さん

民宿を経営しながらマリンレジャーを提供する彌永恭成さん

 座間味島で民宿「いよん家」を営む彌永恭成さん(36)は、座間味島で夏季の“季節労働”をきっかけに定住に成功した。広島出身の彌永さんは2004年に建築の仕事を辞めて、1週間ほど座間味島でダイビングをしている時に海の家の店主から声を掛けられ、働き始めた。その後、島内で食料・雑貨店、西表島の製糖工場での季節労働などを繰り返すうち、先に座間味に移住を実現した中学校の同級生に声を掛けられ、本格的な座間味への移住を決意。宮崎出身の妻とは島で知り合った。

 彌永夫妻は2014年、売りに出された民宿を改築して外国人も気軽に泊まれる民宿を経営している。「夏場は人手が足りなくて、アルバイトを雇う必要があるが、長期滞在する宿がないため、民宿の1部屋をバイトに貸さざるを得ない」という。

宮里哲村長

インタビューに応じる座間味村の宮里哲村長

 座間味村にルーツを持たない人の割合は3割を超すといわれている。村長の妻も副村長も県外出身だ。座間味島の座間味小の父母のうち、両親とも県出身者は少数派とされ、「島の人と島外出身者との間の衝突はない」(宮里村長)。

 彌永夫妻のように、歳月をかけて座間味島を行き来することで、島民の信頼を得られれば、仕事も住居も提供される。

 観光客が激減する秋から冬の時期の活性化に向けて、座間味村は企業・団体向けに研修や報酬旅行などのビジネスツアーを企画・推進している。

 沖縄には「島ちゃび」という言葉がある。「離島苦」という漢字が当てられるように、医療福祉や教育の面において離島の人々の苦しい状況を示した言葉だ。中学を卒業すると、ほとんどが高学進学に伴い島を離れる。その際、母親が下の子を伴って沖縄本島に移住し、父親が“逆単身赴任”となるケースが目立っていた。本島の高校に進学した場合、1カ月の生活費は8万円から10万円必要だ。母親は生活費の足しにとパートにいそしむ。

 こうした島ちゃびの状況を改善したのが仲井真前知事だ。離島出身者のための寮が15年、那覇市にオープンした。座間味など離島出身者の経済的負担が軽減された。

 村が力を入れる定住促進策の一つは、出産を含めた子育て支援だ。妊婦検診の船舶料金を無料にし、出産助成金10万円を支給している。第2子の幼稚園入園料は半額、第3子は無料だ。彌永さんもこうした恩恵に預かり、過不足ない暮らしができている。

(豊田剛、写真も)