沖縄県・久米島 島ぐらしコンシェルジュを配置


1年半で33人移住実現

 沖縄本島から西方約100㌔に位置する久米島。ピーク時に1万7千人を超えた島内人口は現在、8千人を割るまでに減少し、過疎地域に指定されている。人口減少ペースと高齢化率は県内の平均を上回り、年間約100人ペースで人口が減り続けている。町の試算によると、このままでは2040年までに5千人台になる。対策として必要とされるのは転入者を増やす「移住促進」および転出者を減らす「定住促進」だ。

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 町は2015年、17年度から10年間の「第2次久米島町総合計画」を策定した。この計画の施策の一つ「移住定住促進体制の充実」を実現するため、新設したのが「島ぐらしコンシェルジュ」(通称「島コン」)だ。総務省の「地域おこし協力隊」制度を利用して採用している。

 現在、島外出身者3人が島コンとして働く。移住相談をワンストップサービスできる窓口が欲しいという民間のリクエストに応える形で16年5月に発足した。彼らの職場、すなわち、移住Uターン窓口は古民家にあり、空き家や求職情報、手続きの仕方など移住に必要な情報を提供している。1年半の間に、島内外で対面相談したのは200件を超え、移住が実現したのは33人を数える。

 移住促進を担当する島袋陽子・企画財政部主事によると、➀20代前半の若い世代➁就学前の子供がいる子育て世代➂50代ぐらいの早期退職者世代―――が多い。幅広い世代からの関心が高いのが特徴だ。

上江洲幹子さん

島ぐらしコンシェルジュ最年少の上江洲幹子さん

 移住者のケアにも余念がない。「新島人(みーしまんちゅ)の会」は月2回、茶話会と題して仲原家に集まり、さまざまな相談に応じている。島コン最年少25歳の上江洲幹子さんは父親の出身地に移り住む「孫ターン」を実現した。上江洲さんの生まれ故郷は沖縄本島南部の豊見城市だ。幼少時代、祖父母が住む久米島に盆と正月に帰った程度だというが、石川県のサッカーJ2ツエーゲン金沢の営業・広報担当の仕事に一区切りがつくと、島コンの求人広告を見て応募した。

 実は、那覇市の沖縄労働局に勤めた父親もほぼ同時期、久米島商工会事務局長に転職が決まり、久米島を離れてしばらくたった89歳の母親と一緒に久米島に移住、3世代そろっての里帰りを実現させた。

 上江洲さんは現在、自身のルーツである久米島への移住を希望する人々のサポートにいそしんでいる。「任期が切れる3年後も久米島に残って地域のまちおこしに携わる仕事をしたい」と話す。

 沖縄県全体にいえる問題だが、仕事や給与、生活スタイル、文化の違いなどが原因で、移住者がすぐに帰ってしまうケースが多い。町が発行するガイドブックには、移住は簡単ではないと正直に書いている。移住するには、しっかりとした下準備に加え、「島の歴史や伝統を尊重し、地元の人と良好な関係を築く」ことが大切だと説明している。

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移住者に情報を提供する島ぐらしコンシェルジュたち

 入念な下準備と計画により16年1月、久米島への移住が実現できた一人が福島県いわき市出身の小野さやかさん(35)だ。東日本大震災に伴う福島第2原発事故の影響で、当時5歳の覇空真くんと共に島内の被災者受け入れ施設を訪れたのがきっかけだ。北海道や岡山などを転々とする中で、海洋深層水関連の会社に就職が決まったことをきっかけに移住にこぎ着けた。今では、島コンと連携しながら、移住を希望する同郷の人々の相談に乗っている。そして、息子の覇空真くんは三線クラブに入り、しっかり地元に溶け込んでいる。

 町の総合計画は、25年の目標人口を8500人に定めている。そのためには、移住に対する地域の理解が必要だ。11月23日には、総合計画の進捗状況を話し合う第1回「久米島8500人の『夢まつり』」を開催したところ、250人の住民が参加したという。島コン、行政、議会、そして住民が一つになることが目標実現に向けての大きな一歩となる。

(豊田剛、写真も)