石垣市議会、字名に「尖閣」明記を決定

 沖縄県石垣市の尖閣諸島周辺が緊迫している。中国海警局「海警」は5月8日に領海内で日本の漁船を追尾するなど、中国の領海侵犯の動きはエスカレートしている。こうした中、石垣市議会は尖閣諸島の字名に「尖閣」の2文字を入れることを賛成多数で決定した。(沖縄支局・豊田 剛)


中国の領海侵犯の動きが尖閣諸島の字名変更を後押し

 6月22日の石垣市議会6月定例会最終本会議は、多くのマスコミが取材する中、尖閣諸島の字名変更の議案をめぐり紛糾した。

 野党側からは、台湾や中国との関係悪化の懸念を理由に、「なぜ今のタイミングなのか」と疑問視する意見が相次いだ。宮良操議員(無会派)は「漁業者は波風を立ててもらいたくないと言っている」と主張。大濱明彦議員(無会派)は「市民の利益を考えるとデメリットが多い」と述べた。

 これに対し、与党議員は、主権に関わる喫緊の課題だと応酬した。漁師でもある仲間均議員(無会派)は「字名を変更してもしなくても中国公船は領海侵犯を繰り返しており、一触即発の状態だ。字名を変更することで先人が生活した跡を残すべきだ」と主張。ほかにも、「国の主権に関わることであり、他国に配慮する問題ではない」「尖閣に領土問題など全く存在しない」という意見が出た。

 採決の結果、尖閣諸島の字名を「登野城」から「登野城尖閣」に変更する議案を賛成多数(賛成13、反対8)で可決した。

 尖閣諸島は1902年、石垣市大浜間切登野城村(石垣島中心部)の飛び地として編入されたため、「登野城」の地番になっている。中山義隆市長は、「石垣市登野城」という現字名では石垣島の同名の地区と尖閣諸島との区別がつかないため、行政事務手続きの効率化を図る必要があるとして6月9日に字名変更を提案していた。市は今後、システムを改修し、本籍者に通知する。

石垣市議会、字名に「尖閣」明記を決定

尖閣諸島の島名が記された登記簿謄本を紹介する奥茂治氏=沖縄県那覇市(豊田 剛 撮影)

 尖閣諸島の本籍地登録者は5月末現在で76人、戸籍数は48。そのうち、魚釣島に本籍登録した那覇市在住の奥茂治氏は2015年、石垣市に対し住所に「尖閣」を加えるよう陳情した。なお、登記簿の所在は「沖縄県石垣市字登野城魚釣島2392番地」などと小字に島名が入っている。

 陳情を受け、市は17年12月の市議会に字名変更の提案をしようとしたが、延期し、事実上の棚上げになっていた。奥氏の陳情から5年の歳月を経て、ようやく可決された字名変更は、今年10月1日に施行される。

 17年には石垣市が字名変更検討委員会を2度開き、18年4月1日の施行に向けて準備が進められていた。市から意見を求められた歴史家の石井望長崎純心大准教授は、「尖閣という名前は明治時代に定められたもの」とした上で、「『登野城』は尖閣と石垣島とのつながりを示してすでに浅からぬ歴史を持つ」ことから「字登野城尖閣」が適切だと提言。市がこの提言を採用した。

石垣市議会、字名に「尖閣」明記を決定

字名変更が議会で可決された後、記者団の質問に答える中山義隆市長=6月22日、沖縄県石垣市役所(豊田 剛 撮影)

 ところが、17年は日中関係が冷え込んでいた時期だ。砥板(といた)芳行議員(自民)によると、中国を刺激する字名変更を控えてもらいたいと政府から市に要請があったという。中山市長は政府の立場を理解し、議会への提出を見送り、棚上げされたままになっていた。議会での可決を受け、中山市長は記者団の取材に応じ、「あくまでも、長い間準備してきた行政事務が整ったからであり、政治的意図はない」と強調した。

 ところが、厳しさを増す尖閣諸島の安全保障環境が影響していることは間違いない。今年に入り、中国発の新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、世界的に中国への不信が広がった上、習近平国家主席の国賓訪問が事実上の白紙になったことから、砥板氏は「障害が取り除かれたこのタイミングでの名称変更になった」と分析した。

陳情から5年で実現、領海侵犯が「新たな局面に」

 ここにきて中国海警局は尖閣諸島周辺海域の航行をさらに強化してきている。中国公船は5月8日、領海内で与那国漁協の漁船に追尾した。市議会が字名変更を可決した22日にも中国公船は領海侵入している。

 29日には、海上保安庁は中国公船2隻が尖閣周辺の領海外側の接続水域を航行しているのを確認した。接続水域での中国公船確認は77日連続で、2012年9月に尖閣諸島が国有化されて以降、最長の連続日数を更新した。

 中国海警局の動きについて、山田宏参院議員は「新たなフェーズに入った」と分析する。山田氏は6月28日、那覇市で開かれた会合へのビデオメッセージで、与那国漁船が追尾された事案に触れ、「中国政府は施政権を主張し始め、法執行権を行使すると発表した」と話した上で、「中国が国際世論を利用し、あたかも尖閣諸島に領土問題があるかのように米国議員が認識すれば、米国が尖閣防衛に協力しない可能性もある」と警鐘を鳴らした。

 一方、玉城デニー知事は中国政府に抗議をしないばかりか、主体的なメッセージを発していない。尖閣諸島の字名変更についても「市町村の事務」との認識を示すにとどめている。菅義偉官房長官も同様のメッセージを発しており、石垣市の保守系市議団は「県も国も字名変更を前向きに受け止めてほしい」と希望している。


=メモ= 尖閣諸島

 1895(明治28)年1月14日の閣議決定で、正式に日本領土に編入された。周辺海域はカツオ漁が盛んで、同諸島最大の魚釣島にはカツオ節工場があり、日本人も住んでいた。石垣市では1月14日を「尖閣諸島開拓の日」とし、毎年式典を開いている。久場島と大正島は現在、米軍の管理下にあり、射爆撃場として使用されている。