御即位儀式を「赤旗」が批判 反宗教反天皇の革命が源流
野党共闘の本質的な争点に
皇位継承、令和時代の幕開けとなった5月、共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は1~3日付で、「新天皇即位の儀式/憲法の国民主権と政教分離原則に抵触」(見出し、2日付2面)、「異常な報道が繰り広げられた」(同3面)などの批判を展開。これに毎年のことだが、1日付1面トップ「きょうメーデー」、2日付1面トップ「第90回メーデー」が重なり、同党の源流を考えさせられる。
1922年に国際共産党(コミンテルン)日本支部としてソビエト政府の指導で結党した共産党の原点は、ロシア革命を模倣した労働者階級による暴力革命であり、「天皇制打倒」だった。戦前、同紙名が「赤旗(せっき)」だったころの紙面に隠さず書かれている。
共産党は暴力革命を言葉だけに終わらせていない。戦後、講和条約による独立回復(52年)前後に武装蜂起して全国で殺傷事件を起こした。これに挫折し選挙と議会の政治活動に舵(かじ)を切って半世紀過ぎ、言い回しはソフトにして弱めたが主張は変えていない。
同紙は、即位の礼などが「国家神道が強い宗教儀式」だとして「政教分離の原則に抵触」し、国事行為とすることは「国民主権の原則と相いれ」ないと批判する。が、憲法3条には「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とあり、国事行為を定めた7条にも「儀式を行ふこと」などが「内閣の助言と承認により」なされるとある。つまり、国民が選挙し、歴史、伝統、皇室を尊重する政党が与党の内閣なら問題にならない。
国民の情緒は、歴史、伝統、宗教と切り離せないものだ。「国民主権」発祥地のフランスだが、カトリック教会の歴史あるノートルダム大聖堂が4月に炎上し、その焼け崩れる現場を目撃したマクロン大統領が「私たちの一部が燃えるのは悲しい」と慨嘆した。
米国では大統領就任式に牧師が立ち会い聖書に手を置いて宣誓する。王制の国々でも英国ではウェストミンスター寺院で戴冠式の宗教儀式がある。このほどタイで行われたワチラロンコン国王の戴冠式も王宮の仏教寺院で行われた。
しかし、共産党は唯物論で反宗教の共産主義を「科学的社会主義」という呼称で「真理」とし、ものを考える軸にしている。万一、共産党の政権になれば、「国民主権」「象徴」の解釈次第で、同党の「天皇『代替わり』に伴う儀式に関する申し入れ」の通り、皇位継承の儀式を廃止する恐れがある。大化以来の元号も終わりだろう。マクロン氏の言葉を借りれば「私たち(日本人)の一部が消されるのは悲しい」ことになりかねない。
かつての野党は、このような共産党と一緒に手を組むことを拒んだが、民主党政権が破れ、分裂・衰退すると手を結ぶようになった。「しんぶん赤旗」4日付にも「9条改憲許すな/市民と野党の共闘を広げ参院選で安倍政治に審判を/4野党党首らそろう」などの見出しで憲法記念日の集会を報じている。
「日本共産党の志位和夫委員長とともに、立憲民主党の枝野幸男代表、国民民主党の玉木雄一郎代表、社民党の又市征治党首、参院会派『沖縄の風』の伊波洋一議員が壇上で勢ぞろい」した写真も載せた。
顔触れは、平成に2度あった政権交代に至った野党勢力と比べても見劣りする寄せ集めだ。与党との拮抗(きっこう)感もない。それでも、共産党が政権入りの足掛かりとしている以上、参院選、次期衆院選の与党か野党共闘かの2択に日本の本質を懸けた争点があると見なければならないだろう。
編集委員 窪田 伸雄