「自由民主」山梨県知事選 保守統一で県政奪還

因縁の分裂回避示す写真

「自由民主」山梨県知事選 保守統一で県政奪還

岸田文雄政調会長(左)と地元選出の堀内詔子衆院議員(右)から激励を受ける長崎幸太郎候補=「自由民主」1月15・22日合併号から

 春の統一地方選、夏の参院選と選挙イヤーの今年、まず前哨戦と位置付けられたのが1月27日投開票の山梨県知事選だった。旧民主党系の現職・後藤斎知事と自民・公明推薦の長崎幸太郎氏との事実上の一騎打ちとなり、結果は長崎氏19万8047票(得票率49・7%)、後藤氏16万6666票(41・8%)で、自公推薦候補に軍配が上がった。知事選の結果は、定数が1議席の参院選挙区に類似する傾向がある。

 自民党の機関紙「自由民主」は、「統一地方選・参院選必勝へ一致結束」と新年仕事始めを扱った1月15・22日合併号で「山梨県知事選/長崎候補の必勝期す」、1月29日号で「山梨県知事選勝利へ総力を結集」「参院自民党 山梨県知事選選対本部/長崎候補の勝利へ全力支援」、2月5日号で「『停滞から前進へ!』長崎氏が激戦を制す」――と、3回連続して1面で扱う力の入れようだった。

 一方、後藤氏を推薦した立憲民主党、国民民主党の関心は薄かった。後藤氏が国とのパイプより「地方が主人公」と主張する「県民党」を掲げて、国政野党に応援を依頼しなかったこともあるだろう。また、後藤氏とは別に独自の推薦候補・花田仁氏を擁立した共産党も機関紙上で殆(ほとん)ど取り上げなかった(結果は1万6467票)。

 このため、与野党対決の注目を集めながらも、本当の焦点は山梨県で自民党の下に保守層が「一致結束」を図れるかだったと言える。ちなみに2015年の前回は、衆院山梨3区選出の民主党議員だった後藤氏が、定数是正による同区廃止により民主党を離党して無所属で出馬し、自公も相乗り推薦した無風選挙だった。

 1月10日告示日の岸田文雄政調会長の応援演説を扱った記事(1月15・22日合併号)には、長崎氏のことを「44年ぶりの保守統一候補」と強調している。つまり1975年以来、同県知事選でやっと自民党が候補者を一本化できた。

 山梨県は、かつて衆院中選挙区制時代に全県区5議席を概(おおむ)ね保守3、革新2で議席を分け合い、自民党からは金丸信、堀内光雄、中尾栄一各議員ら派閥実力者が林立。派閥抗争が裏目になり、90年代の政界再編期を経て、やがて民主~民進党が優勢な地盤になった。

 98年から7回行われた参院選で自民党は2勝5敗、自民党が勝利した前回16年も山梨では民進党候補が勝っている。2000年から7回行われた衆院選で都市部の山梨1区は1勝6敗。保守地盤の強い同2区の場合は、自民党宏池会幹部だった堀内光雄氏、同氏引退で後を継いだ堀内詔子氏(岸田派)と長崎氏(二階派)とで分裂選挙を繰り返した。

 特に、前回17年衆院選では無所属で当選した堀内詔子衆院議員が自民党入りし、次点の長崎氏は惜敗率95・6%ながら無所属で比例復活はなく落選した。

 同号の写真は、長崎氏の左右に岸田氏と堀内氏とで手を取り万歳のポーズ。1月29日号の写真も応援演説に来た小泉進次郎氏の右に長崎氏、左に堀内氏で、因縁の分裂を超えた「保守統一」を象徴する選挙風景となった。候補者一本化を実現したのは安倍晋三首相(総裁)の下、二階氏・岸田氏が幹事長・政調会長の執行部によるところが大きい。

 その長崎氏を知事選で当選させたことに、「甘利明選挙対策委員長は『…今後予定されている各種選挙に向けて幸先良いスタートを切れた』と述べた」(2月5日号)と同紙は気勢を上げる。参院選を前に保守分裂の火種を一つ取り除いたという安堵(あんど)感もあるだろう。

編集委員 窪田 伸雄