「多死社会」の課題

地域で看取る体制作り推進を

 月刊「Wedge」9月号は超高齢社会の現実に向き合う特集「『看取り』クライシス――多死社会が待ち受ける現実」を組んだ。

 超高齢社会とは、65歳以上の人口が、総人口に占める割合(高齢化率)が21%以上の社会だ。日本の高齢化率は2007年に21%を突破。現在は28%近くに達し、世界一の超高齢社会である。

 高齢者が多ければ当然、亡くなる人も多い。従って、超高齢社会は「多死社会」でもある。この現実は年間の死亡者数の推移を見れば一目瞭然。戦後、最も年間死者数が少なかったのは1966年の約67万人。これに対して、昨年は約136万人と、倍となっている。

 論壇が「死」をテーマに取り上げるようになったのは、この超高齢社会の到来とともに、東日本大震災(2011年)をはじめ、一度に多くの人の命が失われる自然災害が近年頻発し、肉親・知人の死に遭遇する人が多くなっているからだ。

 そんな社会背景から、高齢化のスピードに、看取る仕組みの構築が追いついていないことが課題となっている。厚生労働省は、多くの人が自宅や介護施設で最期を迎えることを望んでいることや、医療経済の観点から、病院でなく、地域での看取りの体制づくりを推進するが、そのための医師や介護人材の不足は深刻。加えて、かつて看取りを担っていた家族や地域共同体の崩壊も著しい。高齢者の孤独死はその象徴でもある。

 「Wedge」は、前述したような看取りの体制づくりの課題をリポートしたが、「死」を考える上で、私たち一人ひとりへの根源的な問い掛けとなっていたのは、宗教学者の山折哲雄へのインタビュー「90歳を過ぎたら“死の規制緩和”を――『死はいつからタブーになったのか?』」だ。

 多死社会になって、延命治療を受け入れるかどうかなど、元気なうちに「リビング・ウィル」を残しておいた方がいいということは言われるようになったが、死をどう迎えるのかを考えると、尊厳死、安楽死をタブー視することはできなくなる。だから、山折は医師を前にした講演では、「そろそろ尊厳死・安楽死をちゃんと現代医学側の問題として、医療の方法としてきちんとそれを議論し、受け入れることを考えてください」と語っているという。つまり、生かすための医療だけでなく、いかに死なすかも医療のテーマにしなければならない時代が到来したというわけだ。

 一方、死を考えることはどう生きるかというところにもつながる。「潮」のシリーズ「輝く人生の『終(しま)い方(かた)』」の中で、医師で作家の鎌田實は語っている。

 「『死』と向き合うことによって、『生』の大切さに気付いてもらいたい」「『死』は必ず訪れる。しかし、だからといって『生』を投げ出してしまってはいけない。必ず訪れるからこそ、……丁寧に『生』と向き合ってもらいたい」(「第7回『死』に向き合い、『生』を過ごす。」)

 どう死を迎えるのかというだけでなく、どう生きるかという最も人間らしいテーマに向き合う人が増えることになるなら、超高齢社会もネガティブなことばかりではないだろう。(敬称略)

 編集委員 森田 清策