「表現の不自由展」とは何か 芸術ではなく「暴力」

「反日」思想を具現した作品

 テロ予告を含め、抗議が殺到したことで、開催からわずか3日で中止となった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の中の企画展「表現の不自由展・その後」。月刊誌10月号はまだ全ては発売されていないが、既に店頭に並んだ保守系3誌全てがこの問題に関する論考を掲載、論壇の関心の高さを示す。

 「正論」は特集「表現の不自由」を、また「WiLL」が「あいちトリエンナーレ」を組んだ。「Hanada」もジャーナリスト、門田隆将の論考「『表現の不自由展』はヘイトそのものだ」を掲載している。

 その特徴は、展示作品が「反日」思想を具現した「プロパガンダ」だとして、芸術監督の津田大介とその擁護者を痛烈に批判していることだ。論者の多くは日頃、活字を中心に表現活動に携わっているだけに、その論考からは、偏向した思想運動に表現の自由が利用されることに対する危機意識と怒りが感じられる。

 展示作品は、昭和天皇の写真をバーナーで燃やし、その灰を踏み付ける動画、元慰安婦を象徴した「平和の少女像」、特攻隊員が寄せ書きした日章旗や遺書を継ぎ合わせた「間抜けな日本人の墓」などで、鑑賞した日本人の多くが不快感を覚えるようなものだ。

 この企画展については、表現の自由をめぐる議論のきっかけにするとの趣旨だ、と津田は説明する。それにしても、愛知県がよくこの企画を受け入れたものだと思うが、芸術祭の実行委員会会長を務める愛知県知事の大村秀章は「お金は出すが、口は出さない」と言った。その理由として、出展作品に口を出すことは、憲法21条が禁じるは「検閲」になるからだという。

 これに対して、作家の竹田恒泰は「この展示会は表現の自由について一石を投じる意図があったようだが、ならなぜ反日の偏った思想から作られたものだけを展示したのか。これでは『表現の不自由』とは単なる看板に過ぎず、実態はただの『反日展』に成り下がっている。これでは、憲法の皮を被って税金を使って、『日本ヘイト』をしたに等しい」(「実体はただの『反日展』」=「正論」)と、企画意図への疑問を呈した。

 また、文藝評論家の小川榮太郎は「特定の人物像を焼き灰を踏み躙る、特定の人物の寄書や遺書を揶揄として使用して見せる事は『表現』ではない」「これらは『作品』でも『表現』でもなく、端的に『暴力』なのである」(「『不自由』を作るのは君らだ」=「正論」)と断じている。「表現の不自由展」に抗議が殺到したのは、展示作品が日本人に対する「ヘイトだ」と受け取った人たちが多かったからだろう。

 行政が展示内容に口を出すと、「検閲」に当たるという大村の主張について、竹田は「この見解は完全に誤りである。最高裁は検閲の意味を明確に示していて、今回のように、特定の展示会での展示が問題となっていて、別の場所での展示まで禁止されていなければ検閲には当たらない」と論破する。検閲になるから、展示内容には口出ししないという大村の主張は責任逃れにしか聞こえないのである。

 一方、表現の自由を論じるきっかけにしたかったという津田について、作家の百田(ひゃくた)尚樹は「この男、平気で言論弾圧しますからね。僕のサイン入り『日本国紀』を販売した紀伊國屋書店の不買運動を呼びかけていましたし。むしろ表現の自由の敵は津田氏ですよ」(「天皇燃やしてなにが芸術」=「WiLL」)と訴えた。今回の騒動は「表現の自由」を盾にした反日運動に、愛知県が手を貸したのでないか、との疑念を強く持たせることになり、議会での責任追及に発展しそうだ。(敬称略)

 編集委員 森田 清策