参院選結果と沖縄基地問題 民意は辺野古移設推進

《 沖 縄 時 評 》

賛成派が反対派の倍以上当選 民主党政権時に決定

 普天間飛行場は、在日米軍海兵隊の軍用飛行場である。2700メートルの滑走路を持ち、嘉手納基地と並んで沖縄におけるアメリカ軍の拠点となっている。普天間飛行場は宜野湾市のど真ん中に位置し、市の面積の約25%を占める。海兵隊の主力輸送機オスプレイ24機のほか、55人を一挙に運べるCH53E大型輸送ヘリ12機、AH1Z攻撃ヘリ12機など、計58機が常駐する。外来機もたびたび飛来する。

 普天間飛行場の周辺には120カ所の学校や公共施設などが存在し、市民は絶えず墜落の危険性と騒音などの基地被害にさらされている。危険な普天間飛行場を辺野古に移設することを、2006年に名護市長、08年に県知事が政府と合意し、紆余(うよ)曲折はあったが10年の民主党政権の時に辺野古移設が決まった。民主党政権の次に誕生した自民党の安倍晋三政権が移設工事に着工し、進めてきた。

 辺野古移設が決まった歴史的経緯を見てみよう。

 04年 小泉純一郎首相は辺野古沖移設を断念する。稲嶺恵一知事の要求もあり、「国内では沖縄が最大の基地負担をしている。それに対しては、やはり沖縄の心情も考えないといけない」と述べ、本土移設を目指す。
 05年 小泉首相は本土移設を断念する。小泉首相は、「総論賛成・各論反対で、沖縄県の負担を軽減するのはみんな賛成だが、どこに持っていくかとなると、みんな反対する。賛成なんて誰もいない」と本土移転を断念した理由を述べた。小泉首相は辺野古のキャンプ・シュワブの陸上に移設することを提案するが地元が反対し、合意ならず。
 06年 政府と名護市長は滑走路をV字型にすることで辺野古飛行場建設を合意。
 08年 政府と県知事は沿岸埋め立てで合意。これで辺野古移設が確定した。自民党政権が続いていたら辺野古移設計画は順調に進んでいたはずだ。
 09年 民主党政権になり、鳩山由紀夫氏が首相になる。鳩山首相は「できるなら国外、最低でも県外移設」を公言する。国外移設は無理と知った鳩山首相は県外移設を目指す。鳩山首相は04年に小泉首相が県外移設できなかった原因を知らなかった。
 10年5月4日 鳩山首相は沖縄県を訪問し、普天間基地問題で、県外への全面移設を断念すると表明した。「最低でも県外」の約束は「党の考え方ではなく、私自身の代表としての発言だ」と民主党の公約ではないと釈明した。
 10年6月5日 鳩山首相を引き継いだ菅直人首相は辺野古移設を決め、沖縄知事に「県外」としてきた移設先を「名護市辺野古」にすることを説明。沖縄知事は強く反発した。
 10年11月 県知事選で、県外移設を公約にした仲井真弘多(ひろかず)知事が圧勝し、再選を果たす。県外移設を公約にするという条件で選対委員長なったのが翁長雄志那覇市長(当時)であった。

◆「海を汚染する」は嘘

参院選結果と沖縄基地問題 民意は辺野古移設推進

埋め立て工事が進められる名護市辺野古(6月24日)

 辺野古移設反対派は昨年の県知事選、今年2月の県民投票、4月の衆院沖縄3区補選、そして今回の参院選で辺野古移設に反対する民意が示されたにもかかわらず政府が辺野古移設工事を進めていると批判しているが、政府と県、名護市が合意した辺野古移設である。県側が一方的に辺野古移設を中止させる権利はない。

 鳩山氏が「最低でも県外」を公言しなければ県民が県外移設を期待することはなかった。そして、鳩山氏が県外移設断念を発表した時に翁長氏が県外移設に固執しなければ、県知事選の時に仲井真知事が県外移設を公約にすることはなかった。鳩山氏か翁長氏のどちらかが居なければ県外移設が民意になることはなかった。

 辺野古の飛行場建設地の周囲は海であり、県民の住宅はない。普天間飛行場に比べて県民が安全であるのは一目で分かる。辺野古側を埋め立て中であるが周囲の海はきれいだ。赤土で汚染されていない。豪雨でも赤土が海に出ることはなかった。反対派は辺野古の海が汚染されると主張しているが、それは真っ赤な嘘である。

 沖縄では14年に辺野古移設反対の翁長氏が知事になり、その後も衆議院選では辺野古移設反対の候補者が当選し続けた。県民投票では辺野古埋め立て反対が7割を超え、県の民意は辺野古移設反対である。しかし、辺野古移設を中止させることはできない。中止するには政府との合意が必要であるからだ。

◆公約に掲げた全政党

 7月に参議院選挙があった。今回の選挙では全政党が辺野古移設に関しての公約を掲げた。公約は以下の通り。

 <自民> 基地負担軽減の実現のため、普天間飛行場の辺野古移設や在日米軍再編を確実に進める。
 <公明> 党としてはこの国の安全保障、防衛政策を基本的に推進していく。
 <民主> 辺野古新基地建設工事を中止し、普天間飛行場の返還を強く求める。
 <国民民主> 沖縄の民意を尊重し、辺野古埋め立てを中止。
 <共産> 県民の民意を無視した辺野古新基地建設を中止。普天間基地の無条件撤去。
 <社民> 辺野古新基地建設に反対。普天間飛行場の即時閉鎖・撤去。

 自民党と公明党は辺野古移設を公約にしたのに対し、野党各党は辺野古移設中止を公約にした。野党の公約で注目すべきことは、県外移設を公約にした政党が一つもなかったことである。翁長氏が主張したのは県外移設であった。本土では県外移設を受け入れる自治体がないことを野党は知っている。だから県外移設を公約には入れなかった。沖縄県民は実現しない県外移設を翁長前知事に信じ込まされたのである。

 与野党が辺野古移設について公約をしたということはすなわち、参議院選挙は国民に辺野古移設の民意を問う選挙であったことを意味する。選挙の結果は、辺野古移設推進の自民57、公明14で合計71議席であった。辺野古移設反対は立憲17、国民6、共産7、社民1、れいわ2で合計33議席であった。辺野古移設推進派が辺野古移設中止派の2倍以上も当選したのである。選挙の結果、国民の民意は辺野古移設推進となった。

 辺野古移設を中止させるには衆議院で過半数にならなければならない。そもそも野党が参議院で勝ったところで辺野古移設を中止できないが、参議院で辺野古移設反対派の政党は敗北した。辺野古移設推進が民意である。

(小説家・又吉 康孝)