植村隆・元朝日記者VS西岡力教授
元慰安婦の履歴「捏造」と東京基督教大学教授・西岡氏
法的措置の元朝日記者・植村氏に厳しい論考
前回のこの欄で、慰安婦報道と原発事故に関わる「吉田調書」についての誤報問題で、反省しない朝日OBについて書いた。この点に関して、ジャーナリストの田原総一朗が興味深いことを指摘している。
慰安婦報道をめぐる朝日新聞社の第三者委員会メンバーとして、同社の記者たちをヒアリングして感じたことの一つとして、「朝日がエリート・優等生集団であること」を挙げている(「わがメディア生活60年 パリのテロ事件と朝日第三者委員会」=「WiLL」3月号)。
なんと、「東大に現役でストレートに入ったグループ」と「浪人して予備校に通ってから東大に入ったグループ」で派閥が分かれるほどで、「エリートだからこそプライドが高く、過ちや失敗を認めても謝罪することができない」というのである。
朝日に限らず、東大をはじめとした有名大学出身者が多い大新聞にプライドの高く傲慢な記者が少なくないのは事実のようで、毎日新聞の元記者で早稲田大学教授の重村智計も「日本の大新聞の記者は、なかなか自分の間違いを認めない。自分を『日本一の記者』と思い込まないと仕事ができない、プライドの塊のような人種だ」と、日本の記者の自慢できない実態について述べている(「新聞記者はリップマンの教えを」=「WiLL」)。
田原はこんなことも言っている。「朝日の記者たちをヒアリングして強く感じたのは、特に中国や韓国に対する贖罪意識の強さである」。
昨年から論壇で批判を受け続けている元朝日記者の植村隆も早稲田大学政経学部卒のエリート。もちろん、現役時代に慰安婦問題に強い思い入れをもって取材したのだから、人一倍贖罪意識が強いのかもしれない。
それでも、手記(「慰安婦問題『捏造記者』と呼ばれて」=「文藝春秋」1月号、「私は闘う 不当なバッシングには屈しない」=「世界」2月号)を発表しながら、慰安婦について誤った情報を読者に与えたことに対する反省の意を表明しないばかりか、論争すべき自身の“論敵”を名誉毀損で訴える(1月)という挙に出たのは言論人の振る舞いとは言い難い。
論敵とは、東京基督教大学教授の西岡力のこと。西岡とその談話を掲載した雑誌の出版社を訴えた法的措置は、植村にとって手記発表に続く「私の『反転攻勢』の第二弾」(「世界」)なのだそうだ。
植村の手記で名指しで批判された西岡は「正論」2月号に、「許せない 植村隆氏の弁明手記」を発表した。それによると、西岡が問題とするのは、植村が書いた2本の記事。1991年8月11日付と同年12月25日付で掲載されたこれらの記事で、植村は元慰安婦・金学順の経歴を「捏造」したというのが西岡の主張だ。
植村は前出8月の記事で、次のように書いた。「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存している」
この記述について、朝日の第三者委員会が昨年12月、「事実は本人が女子挺身隊の名で連行されたのではないのに、『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であり、読者の誤解を招くものである」と指摘したように、記事に事実誤認があったことは明らかだ。
また、金学順が講演や日本政府相手の訴状その他で、慰安婦になった経緯について、貧困のためキーセンとして養父に売られ、その養父に連れられて慰安所に行った、と語っているのに、植村はその事実を書かなかったことも、西岡は重大な問題と捉(とら)えている。
この二つの点を前提に、西岡は週刊誌に対して「植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。
これに対して、植村は捏造を強く否定する。「『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』は私の取材当時、韓国では同じ意味で使われていた。私の記事前後にも他の日本メディアの記者が同様の表現で使っており、私が独自に使ったものではない」(「世界」)というのがその主な主張だ。
さらに、「キーセン学校に行ったことを書かなかったのは、キーセン学校に行ったことが『慰安婦』になった原因でないと考えたからだ」という。
この弁明についても、西岡は真っ向から反論する。植村は一般的な説明として挺身隊と慰安婦を混同したのではなく、金学順の経歴として「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」と書いたのだから、経歴の捏造であるとする。
また、キーセン学校に行ったことを書かなかったことには「どんな経歴でもかまわないという言葉は、事実を報じる記者の言うべきことではない」としている。その上で「他紙の記事などと違って植村氏が悪質なのは、彼が慰安婦問題の利害関係者であるということだ。義理の母らが起こした日本政府に対する裁判を結果的に有利にするような捏造記事を書いたという点で、朝日と植村氏の責任は重大だ」と訴える。植村の義理の母は、日本に対して第一次の補償請求訴訟を起こした太平洋戦争犠牲者遺族会の理事を務めていた。
手記の中で、植村は女子挺身隊と慰安婦の混同は「戦後まもなく定着した。日本のメディアは韓国で定着していた認識を踏襲していた」とも書いている。この記述について、西岡は重要な指摘を行っている。
日本の朝鮮史研究学会には1960年代、70年代までは、慰安婦が女子挺身隊として連行したとの誤った学説はなかった。その説が登場したのは、85年になってからだという。それはなぜか。吉田清治の虚偽証言の影響だというのだ。つまり、朝日が82年、「済州島で慰安婦狩りを行った」とする吉田の虚偽証言を掲載したことで、学界に誤った学説が登場したというのである。
西岡の指摘が正しいなら、女子挺身隊と慰安婦の混同は「戦後まもなく定着した」との植村の主張は間違いであるだけでなく、彼の弁明は朝日の作った誤った学説を根拠とするという到底説得力のないものとなってしまう。
西岡は「植村氏に聞きたい。未だに公開しない金氏の証言テープの中に、女子挺身隊の名で連行されたという部分があるのか、明らかにして欲しい」と、植村に求めるが、植村の弁明を分析すると、テープにそのような証言があったとは思えない。
植村は「文藝春秋」の手記で、神戸大学大学院教授の木村幹がハフィントンポスト(投稿日・2014年8月26日)に書いた次のような内容を紹介した。
女子挺身隊と従軍慰安婦の混同について「明らかなことは、このような植村の記述が、この時彼が取材にて入手した金学順の証言による産物ではないことである。(中略)植村報道もまた同紙が用いて来た慰安婦に関する『枕詞』を繰り返したに過ぎなかった」としている。このあと、植村は「当時の状況を考えれば、こういう見方になるのが普通だ」と、木村の見方を否定していない。
前出の重村は、米国の著名なジャーナリスト、ウォルター・リップマンが取材記者の基本について「誤ったステレオタイプを正す使命」と主張したことを紹介しながら、新聞記者には「女子挺身隊と従軍慰安婦は同じ」という「誤ったステレオタイプを正す使命」があったはずだと強調。その上で、「新聞記者の視点」からすれば、慰安婦報道に関する植村と西岡の対立は「西岡教授の勝利」と軍配を上げている。テープだけ聞いて記事を書いたという致命的な弱みも植村にはあり、論壇ではそれも批判されている。
「不当なバッシングには屈しない」とする植村だが、反転攻勢のために上がるべき舞台は法廷ではなく論壇のはずではないか。(敬称略)
編集委員 森田 清策