尖閣国有化1年で日中緊張の現状とその理非を好解説した読売寄稿

◆簡明に事実関係説く

 沖縄県石垣市の尖閣諸島沖の領海内で中国の公船(中国海警局所属の「海警」など)が侵入する挑発行為が断続的に繰り返されることで、日中間の緊張が続いている。今月に入っても1日午前に「海警」4隻が約2時間、日本の領海に侵入した。中国公船による領海侵入は先月27日以来で、今年に入って47日目を記録している。

 海上保安庁の巡視船は中国公船の領海侵入の度に退去警告を発し、並行航行で警戒しているが、わがもの顔で挑発を続ける中国公船にはどこ吹く風。毎回、日本語と中国語による無線で「釣魚島(尖閣諸島の中国名)と付属の諸島は古来より中国固有の領土で、周辺12カイリは中国の領海である」と居直りでしかない応答を繰り返す。

 海保の巡視船は、中国の不当な言いがかりに取り合わず、冷静かつ忍耐強い対応でわが国の領土領海を守っているのである。

 この尖閣の領有権については、日本国民として基本的な事実関係を心得ておきたいものだが、それにピッタリの解説寄稿が読売5日付13面(「論点」)の「尖閣諸島問題」である。筆者の池田維氏は立命館大客員教授。外務官僚として長年、日中実務関係に携わってきただけに、簡明でつぼをしっかり押さえた好解説はためになる。

 池田氏は「日本政府が約10年間にわたる現地調査を経て、国際法にかなった方法で同諸島を日本領に編入したのは1895年1月である」と、尖閣諸島が理にかなった経緯で日本領となった原点から説き起こす。それから1971年までの76年間「中国も台湾も日本の領土であることに異議を唱えたことはない」のだから、問題が生じる余地はない。しかも「戦前の一時期には200人以上の日本人が居住していた」のである。

◆「棚上げ」強弁を一蹴

 中国が強弁する、いわゆる「棚上げ」論についても池田氏は72年の国交正常化交渉での田中、周恩来両首相の会話では短い会話に終わり、78年の福田首相と鄧小平副首相の会談では鄧氏の発言に福田首相は一切応答していない事実を指摘。だから「日中双方が何らかの問題の存在を共に認め、その解決を先送りするということに合意したことはない」との結論は分かりやすい。

 合意はないのに一方的に「棚上げ」論を言う中国に池田氏は「92年に中国は国内法『領海及び隣接区域法』を突如制定し、尖閣諸島を自国の領土に編入した」ことに言及。「これは『棚上げ』論と重大な矛盾をはらむ。中国が『棚上げ』論を言うなら、まず国内法を改正ないし廃棄してからにすべきだ」と批判した。

 池田氏はこれ以上の言及を避けたが、指摘は示唆に富む。92年はバルセロナ(スペイン)五輪に沸いた年だ。このとき「平和の祭典」をよそに、虎視眈々と領土拡大を野望する中国の遠謀が、不当な国内法制定で仕掛けられていたことは容易に分かろう。今の日中間の緊張は、決して昨年の尖閣諸島国有化が引き金となって始まったわけではないのである。

◆連載で奮闘を伝える

 尖閣諸島をめぐる日中間の緊張についてさらに理解を深めるのに有益な連載も、読売である。4面の政治面(政治面のない月曜日付を除く)に不定期掲載される「政治の現場」がそれで、今は別テーマになったが先月11日付から29日付までは「尖閣国有化1年」(12回)だった。

 連載は本編だけでなく適切な解説メモや解説図、年表などを付け、緊張を高める日中間の現状を詳細に描き出す。特に有益だったのは連載2回目の「『物量』対『理詰め』の宣伝戦」。日本に尖閣諸島の「返還」を迫る中国のプロパガンダが、日本を批判する広告としてワシントン・ポストなど世界の有名紙だけでなく、太平洋の島国やアフリカなどにまで及ぶ“物量戦”で展開する実態を伝えた。

 対する日本は「各国駐在の外交官が“理詰め”で反論している」として、林景一駐英大使がフィナンシャル・タイムズ(昨年11月14日付)に寄稿した論文要旨を一例として添付し、その奮闘を伝えた。

 林大使は「戦後の国際秩序に力と威嚇で挑戦する中国の試みに、日本は断固かつ冷静に反対する。尖閣諸島を巡る最近の緊張は、中国のみによって作り出され、悪化させられてきた。国際社会が『落ち着け、中国。いじめをやめろ』と声を上げることを期待する」と寄稿文を結んでいるのである。

(堀本和博)