罪悪性、非人間性告発の一心
宗教ジャーナリスト 室生忠さんに聞く(下)
詳細な被害者の証言/暴かれる宮村氏の正体
営利に結びつく婚姻無効訴訟
――「パート10 の体験と目撃現場」は、一時は脱会して脱会屋サイドのメンバーとして信者の強制脱会「説得」の現場を訪れるなどした舞さんの体験談です。証言の感想から。
パート10は非常に分量が多くて、舞さんの存在、証言を重視しているなあと感じる。確かに、その証言の質というか、舞さんの存在そのものに特異性がある。
とりわけ、脱会屋や牧師との関係が極めて詳細に証言されている。その中でも「これはひどいな」と思ったのは、監禁から解放された彼女が、日本キリスト教団所属の有馬歳弘牧師や小岩裕一牧師を訪ね、詰問する箇所だ(連載243回)。2人の牧師は、拉致監禁の事実に目をそむけ、「記憶にない」「覚えていない」などと言葉を濁して徹底的に逃げた。これは後藤裁判における松永堡智牧師の証言でも見られる現象で、牧師として自らの行為に責任を持たない卑劣な態度としか言いようがない。
このように、舞さんの言動には体験によって証言し、公にしていくという力強さがあり、心打たれる。その背景には、拉致監禁に対する怒り、自分の体験を通し確信した拉致監禁というものの罪悪性、非人間性を告発したいという一心があるのだろう。
――後藤徹さんの強制説得の現場にも遭遇するという劇的な展開もある。
後藤裁判でも、後藤さんに対する脱会屋の宮村峻氏や元信者の具体的な説得行為のありさま、後藤さんの日常生活、監禁中の現実に触れた証言は舞さんのものしかない。舞さんの証言は短いものであっても非常に貴重だ。
信者だから教会に請われて証言してるんだろうと言わせないだけの、非常に客観視した質の高い証言であり注目に値する。
――後藤徹さんの監禁現場での体験はほんの10分ほどだが、宮村峻氏が部屋から出て行く折のドアの開閉一つの動作まで細かく観察している。
その通りだ。ほかの被害者の証言もそうだが、舞さんは特に、宮村氏の悪辣さというものをありのまま告発したいという気持ちが強かった。それと一度、偽装ではなく本気で脱会して、向こう側に行って水茎会(脱会者の親たちの組織)の状況などを見てきた。その人物の証言だから、宮村氏の正体というものがビビッドに伝えられている。
――水茎会も明るみに出ました。
宮村氏の基本パターンはまず親を徹底教育する。そして宮村氏に対する絶対服従の心理をつくりあげ、宮村氏から逃げられない状態に追い込んでおいてから、実際に子供を拉致、監禁させるわけだ。このやり方が広がっていった。
親を教育するということはどういうことか。他の牧師の場合は、単に反協会情報を教え込むだけだ。もちろん宮村氏も同様な教え込みは行う。
ただし、宮村氏の場合、親を徹底的に教育するという想像を超えた過激行為の根っこには、どうも、子供の協会信仰の破壊と同時に、その家庭そのものを壊したいという、人知れない非常に暗い欲求というか、衝動のようなものがあるような気がする。
この場合、子供の協会信仰の破壊とは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)発症の危険性をも無視する子供の精神的肉体的破壊であり、過激教育によって親を変えてしまうというのは、価値観的に親を破壊すること、親の人間的な感情を破壊することであり、それはストレートに、親子関係そのものの破壊につながっている。当然、親子関係の破壊とは一つの家庭そのものの破壊だ。
――舞さんは強制的に婚姻無効訴訟に至った過程も、リアルに証言している。
結婚の問題に着目したのはさすがだと思う。これは「青春を返せ裁判」でも同じだが、戦略的に動く弁護士など、裁判を仕掛けている人たちが存在することの証拠の一つだ。
本来的には、舞さんの当時の状況で言えば、明らかに結婚破棄(離婚)で済ませられる。それを宮村氏らは、離婚という行為では、かつての自分と決別ができないというような身勝手な理屈付けで、舞さんの意思を無視して、強引に婚姻無効訴訟にもっていった。
対協会戦略というだけでなく、同時に裁判の形で進めればカネになるからだ。舞さんのケースは宮村峻氏と紀藤正樹弁護士のコンビで行われたが、拉致監禁問題において、この二者とは若干はずれるが、加えて山口広弁護士というトライアングルの結びつきは特別な意味がある。彼らは組んで指導権を握って、こうした戦術をスケジュール的に仕掛けてきたわけだが、ここに必ず営利というものが付きまとっている。
――教義的には「祝福」というものを否定してしまおうという意図もあるのでは。
戦術としての理念はそれでしょう。
――舞さんは、後藤さんの強制説得の現場にも遭遇しているのが大きいと改めて思う。
舞さんの水茎会についての証言などが非常に重い意味を持っているのは、彼女がいったん脱会して完全に向こう側に行った、そして戻ってきた経緯があるからだ。偽装ではなく本気で脱会したために、向こう側の状況が非常によく見えており、記憶として鮮明に残っている。
そして、その間には彼女なりの必死の宗教遍歴が入っている。無理やり信仰と離された、しかし、何か変だというのがあって別の信仰を探したり、一体自分は何を探しているのかと問うてみたり、自己の信仰的なアイデンティティーの再確認、再確立がなされている。「マインドコントロール」とは対極にある行為だ。その結果、協会の教義にもう一回たどり着くわけだ。
入信行為の質的な重みから言えば、私は、彼女のような経緯を経た再入信のほうがはるかに重いと思う。彼女にとっては、辛酸をなめさまざまな体験を経て見つけた真理ということだ。自己客観視を含んだ自己確立の営為の中で見聞きした証言というのは極めて重い。内的なプロセスを経て、非常に強固なアイデンティティーの中から出てきている言葉であり証言だからだ。
――強制改宗、拉致監禁問題は、残念ながらその事実の有無をめぐってせめぎ合いが続いている状態だ。その面から見た時に、パート9、10の連載はそういう事態に対して、ある程度風穴を開けることができたと見ていいか。
9、10に限らず「拉致監禁の連鎖」という連載そのものが、最初からそういう力を持っていた。初回から248回まで4年ほどたっているが、その間の社会状況の変化、拉致監禁問題をめぐる運動の進展に対応して、連載の内容も目に見えて進んできている。
実際、拉致監禁問題に対して社会全体がその認識を完全に変えたとは言えないが、少なくとも協会と脱会屋サイドの力関係、発言力を見ると大きく変化している。特にこの10年間の拉致監禁反対運動の成果は目覚ましく、脱会屋サイドにあらゆる手段で休むことなくダメージを与え続け、国内外から強制棄教阻止の圧力を掛け続けてきた。
その積み重ねのエネルギーは膨大なもので、実際、目に見える形で相当な成果を上げてきている。
今も拉致監禁被害者は年に何人かは出ており、完全撲滅には至っていないが、悲観してはならないと思う。拉致監禁を指導している側は、明らかに追い込まれている。追及や批判に頬かむりできなくなっている。自信と勇気をもって、拉致監禁・強制棄教の完全撲滅に邁進したい。