原告自ら拉致監禁を法廷証言
宗教ジャーナリスト 室生忠さんに聞く(上)
「“拉致監禁”の連鎖」のパートⅨ「『青春を返せ裁判』法廷証言から」(今年2月4~18日掲載)とパート10「被害者の体験と目撃現場」(同5月2日~6月5日)では、拉致監禁はないと全否定している脱会屋サイドに立つ法廷証言などから、強制棄教の実態をあぶり出した。宗教ジャーナリストの室生忠氏はどう読み解いたのか、パート9、10の感想などを中心に聞いた。
(聞き手=堀本和博、片上晴彦 写真=佐藤元国)
フランスでも厳しく断罪/「マインドコントロール理論」は破綻
営利追求の弁護士たち
――世界基督教統一神霊協会(以下、協会)を訴えたいわゆる「青春を返せ裁判」の原告たちの法廷証言から拉致監禁の実態に迫ったのがパート9ですが、その感想から。
原告、つまり脱会屋サイドの人たちの証言を詳細に分析したもので、非常に有効な主張になっている。Ⅸの重要なポイントは、脱会説得に伴う拉致監禁が事実として存在したこと、またその事実が多くの原告つまり元信者らの法廷証言として、自ら認める形で出されてきていること、その2点が明確に示されていることだ。この点は指摘されてきたことだが無視されてきたもので、それが改めて強調されている。
――この裁判は、判決文で拉致監禁を「違法となる可能性がある」と認定したが、判決そのものには影響していない。
この裁判では、物理的拘束の有無が直接のテーマになっていないことを盾にとって「可能性がある」とエクスキューズをとりながら、全体として協会側にマイナスの判決を下しており、裁判所の態度は非常に姑息だ。拉致監禁問題の判断についての、裁判所の責任回避の姿勢が露骨に出ているのではないか。
欧米、特に米国では強制改宗・拉致監禁があるということだけで、どんどん違法判断が下され、刑事・民事的に断罪されている。欧州でもほとんど決着が付いている。それと比べると、日本の司法の後進性が際立っている。
――フランスでは、宗教的マイノリティー(少数派)問題に厳しいと言われるが。
フランスでは1995年に国内で活動を行っている外国の宗教法人に対してセクト指定を行い、これには創価学会、幸福の科学なども入っている。2001年には反セクト法が制定され、宗教的マイノリティー、「セクト」と呼ばれる団体を官庁間で監視するミッションが立ち上げられた。それを理由に、脱会屋サイドの人たちはしきりに「フランスはこうじゃないか、日本の当局は手ぬるい」と言っている。
しかし、フランスでは政治的にはそうであっても、司法なり警察の対応は拉致監禁に関しては非常に厳しいのが現状で、脱会屋サイドは都合のよい部分だけを切り取って利用している。
一例として11年8月下旬に、宗教的マイノリティーの一つアントニズムの信者、マリー・トルオンという24歳の女性が、脱会および信者との結婚の阻止を狙った母親、父親、弟によって拉致監禁される事件が起こり、彼女の婚約者が警察に告発した。警察の動きは実に素早く、母親を拘束して裁判に掛けた。裁判も迅速に行われ、母親については執行猶予付きながら2年の禁錮刑、父親と弟は執行猶予付き1年の禁錮刑、しかも3人とも娘には接触禁止という判決が出された。日本の現状と比べると雲泥の差がある。
発行するニューズレターにこの事実を載せたNGO「国境なき人権」のウィリー・フォートレ代表も「日本では、同じ新宗教に属する婚約者からの捜索願を警察は意図的に無視してきた」などと厳しく論評している。
――「青春を返せ裁判」で、原告側は「マインドコントロール理論」で言い分を構成した。学問的には認められていない概念だが。
「マインドコントロール」という問題については、青春裁判の直接的な争点にはならなかったが、原告側の郷路征記弁護士が便乗する形で用いて、一つの雰囲気づくりに使っていた。それを受ける形で立正大学教授の西田公昭氏らが主張するようになり、ほかの裁判の中にも「マインドコントロールされていた」という主張が入ってきた。しかし、世界的には心理学会の中で理論が破綻しており、それを信奉し主張する学者は、日本の社会心理学会の一部、西田公昭氏とその影響を受けているごく一握りの学者と脱会屋サイドの弁護士たちだけだ。
その一方で社会的には「マインドコントロール」という言葉が依然として独り歩きしている。使い勝手が良くて、視聴者に、ある種のイメージを与える効果があるためマスコミ・メディア用語になっている。「マインドコントロール」という言葉の検証抜きの乱用に異議を唱える有識者が増えていくことが大事だ。
――青春裁判の原告らは、自発的に脱会した人たちでなく、強制棄教させられた被害者である。いわば、訴訟そのものが作られた状況下の訴訟だ。その中で、今日の協会の負のイメージ形成に大きな影響を与えた。
後手に回ったというか、厳しく言えば、当時の協会組織の危機感が薄く、裁判の意味や影響にまで認識が届いていなかった。「青春を返せ裁判」と、その前からある「霊感商法裁判」の二つが協会の負のイメージを固定化させた。しかも、これは反協会派によって戦略的に行われてきた。
まず霊感商法問題をどんどん連続的に打つ。それを補完補強する形で青春を返せ裁判を立ち上げてきた。単に被害者の被った不利益を取り戻すという純粋な意味での裁判の在り方ではなくて、政治的に協会をつぶす、弱体化させるためのロングレンジの戦略として裁判が使われてきた。
――そういう戦略の中の裁判だったと。
しかし、原告側の弁護士たちが、本当に政治的な意味合い、つまり協会の組織をつぶしたいという思いだけで、これをやったのかと言うと、それは違うと思う。同じような比重で営利性というものが付いて回っていたはずだ。今回の連載では触れていなかったが、これによって弁護士たちがどれだけの利益を得たのかという数字をはじき出したら面白い。
もう一つ、これらの弁護士たちが、膨大な数にのぼる原告たちのことをどれだけ真剣に考えていたか。彼らの状態、状況にどれほど目が行き届いていたかは疑問で、私は非常にいいかげんなものだと思う。
それを如実に感じたのは11年にバルセロナで開かれたICSA国際会議で、被害弁連の紀藤正樹弁護士が、同席していた後藤徹氏の目の前で「弁護士や牧師が関わっているケースで拉致監禁はない。拉致監禁は偶発的なもので、私が担当した『青春を返せ』裁判の原告たちの中には、拉致監禁された人はいなかった」という意味の発言をしたことを聞いた時だ。
実際は、原告の一人である後藤徹さんのお兄さんは東京・青春裁判原告団の一人で、拉致監禁され脱会している。これ一つを取っても、弁護士たちがいかに原告たちの状況や事情を押さえていないか、理解していないかが分かる。
――食い物にしていると言っては言い過ぎか?
はっきり言えば、そう。彼らにとっては飯の種だから。余談になるが、現在彼らは拉致監禁問題では、これ以上訴訟が打てない状況に追い込まれている。そこで、何か他にいい手はないかということで、今、金になりそうな別な訴訟分野に手を付け始めている。
青春裁判当時はこちら一本で十分に足りていた。足りなくなってきたから、別物に手を付け始めているのだと思う。