柴山文科相の教育勅語に関する発言の揚げ足を取り騒ぎ立てる朝毎
◆加地氏の道徳教育論
大阪大学名誉教授の加地伸行氏が産経コラム欄『古典個展』で道徳についてこう述べておられたことがある。
「小学校・中学校における道徳教育に対して、否定的に文句を言っている人が多いが、そのほとんどは、道徳教育そのものを、始めから〈悪しきもの〉という先入観で見ているのみならず、その論説の最大欠点は、道徳の基本がよく分かっていないことである」(2017年8月21日付)
加地氏によれば、道徳には①絶対的道徳②相対的道徳③修養道徳―の3種の分野がある。①は古今東西を問わず、絶対に変わらない道徳で、例えば、人を殺さない、盗みをしない、人の心を傷つけない、規則は守るなどで、これは必ず強制的に教育する。
②は条件付きの道徳で、例えば、陸地から遠く離れた海上で1人しか乗れない舟に3人が乗り、舟もろとも沈でんしまうとき、どうすればよいか、考えさせ議論する道徳教育。③は自分なりに実践できる徳目、例えば〈まごころ〉を生涯実践するといった個人の問題で、これは道徳教育には入らない。
そして加地氏は言う、「家族について実(まこと)しやかに説く世のいかなる道徳論も、森進一が絶唱する『おふくろさん』1曲に遠く及ばない」と。道徳教育について考えさせられるご指摘だった。
◆政府答弁踏襲し返答
第4次安倍改造内閣で文部科学大臣に就任した柴山昌彦氏は会見で教育勅語に対する見解を問われ、「現代風に解釈されたり、アレンジしたりした形で、道徳など使うことができる分野は十分にある。普遍性を持っている部分がある」と述べたところ、左派紙から袋だたきにされた。
朝日は「教育勅語『使える分野は十分にある』 柴山文科相、就任会見で発言」(4日付)、毎日も「柴山文科相『教育勅語に普遍性』 道徳に使用、否定せず」(同)と問題発言として報じ、5日付社説では「柴山文科相の見識疑う」(朝日)、「早くも時代錯誤の登場だ」(毎日)と批判した。
それで冒頭の加地氏を思い出したわけだが、氏の道徳観と照らし合わせても、柴山発言のどこが時代錯誤なのか、まるで分からない。
昨年3月、稲田朋美防衛相(当時)が同様の発言を問題視されたため政府は「憲法や教育基本法などに反しないような形で、教材として用いることまでは否定しない」との答弁書を閣議決定している。平成26年には当時の前川喜平初等中等教育局長が参院委員会で「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に注目して活用することは考えられる」と答弁している。
それで産経8日付主張は「(柴山氏は)政府見解を踏襲して答えたにすぎない。揚げ足を取って騒ぎ立てる問題ではなかろう」と朝毎の問題発言扱いを批判している。
◆朝日も普遍性認める
周知のように、教育勅語は父母への孝心や兄弟愛、夫婦の和合、友情、ために生きる精神、順法精神や危急の際の義勇心など12の徳目(道徳)を説いている。これらが少なからず普遍性を持っていることは衆人の認めるところだろう。現に朝日5日付社説もこう述べている。
「(教育勅語)擁護派は、きょうだいや友人を大切にする、博愛や公益を広めるなど、勅語には良いことがたくさん書かれているという。だが家族愛や友情、公共の精神は勅語を持ちださなくても教えられる。実際、そうした普遍的な徳目は、どれも学習指導要領に既に盛り込まれている」
何のことはない、朝日も勅語に書かれている家族愛や友情、公共の精神を「普遍的な徳目」と認めているではないか。それならば、柴山発言にかみつくこともない。ところが朝日は「『危急の大事が起きたら一身を捧げて皇室国家のために尽くせ』という点に、教育勅語の本質はある」として猛反対するのだ。
これも「皇室国家」は戦後憲法によって「日本国家」に変わったのだから、「日本国への忠誠」とアレンジすればよい。米国民が式典で読み上げる「忠誠の誓い」が象徴するように国への忠誠もまた、普遍性を持っているはずだ。
『おふくろさん』も世の中の傘になれ、愛をともせと教えている。朝日にはそんな真実を語る、おふくろさんがいなかったのだろうか。
(増 記代司)