戦前の話は「何でも悪」の短絡的な認識で「教育勅語狩り」をする朝日
◆稲田氏に矛先向ける
朝日10日付社説が「教育勅語肯定 稲田大臣の資質を問う」と拳を振り上げている。
稲田大臣とは、稲田朋美防衛相のことだ。学校法人「森友学園」の国有地売却問題をめぐる国会審議で、社民党の福島瑞穂副党首が幼稚園教育に教育勅語を取り入れていた学園を問題視し、矛先を稲田防衛相に向けて「教育勅語が戦争への道につながったとの認識はあるか」と追及した。
これに対して稲田防衛相は「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と教育勅語を評価する答弁をした。それを朝日はまかりならぬと怒りを露わにするのだ。
社説は「いざという時には天皇に命を捧げよ――。それこそが教育勅語の『核』にほかならない」とし、「教育勅語は終戦後の1948年、衆院で排除の、参院で失効確認の決議がされた」として「(稲田氏の)軍国主義の肯定につながる発言は国内外に疑念を招く」と言った。
どうやら朝日は戦前の話となると、「何でも悪」論に立つらしい。同じ10日付の本紙社説「教育勅語論争 評価できる歴史上の立国理念」が指摘するように福島氏や朝日の認識は短絡的で、教育勅語の「核」を取り違えている。
11日付の産経抄も「教育勅語は、友人とは互いに信じ合い、行動は慎み深くし、他人に博愛の手を差し伸べるなどの徳目を教えている。避難してきた同級生をいじめる子供らや、扇情的な言説に陥りがちなメディアにこそ、読んで心に刻んでもらいたい」と朝日に釘をさしている。
◆教育への気概がもと
朝日には関心の及ばぬことかも知れないが、明治の日本は「教育なくして立国なし」と並々ならぬ決意で教育に取り組んだ。明治5年の学校教育制度(学制)の公布に当たっては、国民に「仰せ出され書」を出し、学問・教育は国家のためにするのではなく、各自の「身を立てる財本である」とし、学問・教育がないと貧乏、破産、喪家を招くと諭し、「人たるものは、学ばずんばあるべからず」とまで言った。
こういう教育への気概が教育勅語の基となった。明治22年の憲法公布に際して、国民のアイデンティティーの確立を目指し「教育勅語」が発布された。勅語は近代化、西洋化によっても伝統的精神を失うことがないように、父母への孝心や兄弟愛、夫婦の和合、友情、為に生きる精神、遵法精神や危急の際の義勇心など12の徳目(道徳)を説いた。
それを朝日は「君主に従い、奉仕する人民という意味で、国民を『臣民』と記している。さらに、臣民は国家の一大事には、勇気をふるって身を捧げ、『皇室国家』(戦前の文部省訳)のために尽くすとも書かれている」(10日付社会面)と罵倒している。
だが、「臣民」はそれほど悪いものか。エリザベス女王を戴く英国では今も国民を「イギリス臣民」と呼ぶ。吉田茂は昭和天皇に対し「臣・茂」と称した。朝日が社説タイトルで書いた「稲田大臣」も「臣」だ。福島氏も鳩山内閣で天皇陛下が親署(しんしょ)された辞令書で内閣特命大臣(男女共同参画など)に認証されたはずだ。
朝日は国家に忠誠を尽くすことが軍国主義のように言うが、民主国家の米国では公式行事で「忠誠の誓い」を暗唱する。「私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います」と。
◆廃止のお先棒を担いだ
なぜ朝日は執拗に「教育勅語狩り」をするのか。確かに終戦後に失効したが、GHQ(占領軍)で教育を担当したCIE(民間情報教育局)は当初、教育勅語を敵視していなかった。「神道指令」(昭和20年12月)は草案段階では教育勅語の使用禁止条項を入れていたが、これを削除した。勅語を軍国主義と認定しなかったからだ。
ところが、新たな勅語を求める動きが出ると、朝日は昭和21年3月20日付に「勅語渙発説を斥く」と題する社説を掲げ、教育勅語廃止論を展開した。連合国の占領機関、極東委員会のソ連代表が廃止を求めていて、朝日はそのお先棒を担いだのだ。
今も後生大事に担ぎ続けている。それが朝日の「教育勅語狩り」の正体だ。
(増 記代司)