教科書検定にマルクス流の「国家は悪者」批判を繰り返す朝、毎、東京

◆領土記述増加に難癖

 『疑問だらけの中学教科書』と題する本が出版されたのは、ロナルド・レーガン氏が米国第40代大統領に就任した1981年のことだ。

 著者は森本真章氏(筑波大学講師)と滝原俊彦氏(帝京女子短期大学教授)で、福田信之氏(筑波大学学長=いずれも当時)が監修。偏向教科書の実体を本格的に浮き彫りにし、大きな反響を呼んだ。これが「教科書問題」の先駆けだと言ってよい。

 翌82年に教科書誤報事件が起こった。文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとメディアが一斉に書き立て(同6月26日)、外交問題にまで発展した。

 だが、書き換えた事実はなく「世紀の大誤報」となった。この誤報を最初に暴いたのは、ほかならない本紙だった(同8月6日付)。教科書問題は裏を返せば「偏向メディア」問題だ。そのことを見せつけた事件だった。

 こんな30年以上も前の話を思い出すのは、文科省が来年4月から使用される高校教科書の決定結果を公表し、これに対して左派紙が批判を繰り広げているからだ。

 朝日は「押しつけは時代遅れだ」、毎日は「多面的思考の育成こそ」、東京は「心配な国の出しゃばり」(19日付社説)と、いずれも国の検定に異議を唱える。

 今回、「政府見解や最高裁判例に基づく記述」「通説がない場合はそのことの明示」を求めた新検定基準が高校で初めて適用されたが、それが気に入らないらしい。

 東京は「地理歴史や公民では、国の立場が前面に押し出され、それにそぐわない見方や立場は薄められた。領土の記述が現行教科書の約一・六倍に増えている」と、領土記述の増加に難癖をつける。

 だが、領土は国民、主権とともに国家の3要素だ。それを教えないようでは地理歴史の教科書たりえない。どこの国でも当たり前の記述で、今までがおかしかった。

 ところが東京は「教科書会社が萎縮して、まるで国の顔色をうかがったような痕跡も読み取れる。右傾化の空気や表現行為への抑圧的な動きをおそれた面もあったのか」と書く。この伝でいけば、世界中が右傾化だ。

◆正気疑う朝日コラム

 朝日の同日付夕刊の社会風刺コラム「素粒子」に至ってはこう言ってのけた。

 「目くらましすらいらぬように。右向け右の国民をつくりたいような教科書検定。ネット社会の百家争鳴を知らず」

 ネット社会の百家争鳴は虚偽情報もあれば、ヘイトスピーチまがいまで、何でもありだ。まさかそれを教科書に持ち込めとでも言うのだろうか。朝日は常日頃、新聞情報はネット情報と違って精査されていると自負するが、教科書はどうでもいい? いくら風刺コラムでも正気かと疑う。

 このような右傾化批判は82年の大誤報にそっくりだ。朝日は「教科書さらに『戦前』復権へ」、毎日は「教科書統制、一段と強化」といった見出しを躍らせていた。十年一日、いや三十年一日の如し、だ。

 これらの新聞に共通しているのは、政府のすることは間違いで、歴史学者らの記述は無条件で正しいとする論調だ。これこそ「国家は悪者」の立場に立つ、いわゆるマルクス流の階級国家観だ。

◆偏向や誤認への意見

 だが今回、6601件の検定意見が付いた。それほど事実誤認や問題記述が多かったということだ。間違いまで「多面的思考」(毎日)として押し付けられれば、それこそ子供たちが不幸だ。

 ところで森本氏らが浮き彫りにしたのは偏向教科書の由来だった。それによれば、1947(昭和22)年に創立された日教組はソ連主導の世界教員連合(WOTP)に加盟し、52年に「教師の倫理綱領」を作成した。

 同綱領は「教師は労働者である」「教師は団結する」などとし、青少年を革命戦士に仕立て上げることを教師の使命としていた。そこから学習指導要領を無力化しようと「自主教科書」(共産党機関紙誌のコピーなど)を教室に持ち込み、さらに教科書そのものを乗っ取ろうと企てた。それが偏向教科書だという。

 今回の検定結果を冒頭の3氏は来世でどう評価しておられるだろうか。聞いてみたいものだ。

(増 記代司)