「道徳」特別教科化の必要性

全校的な体制で効果発揮

北翔大学教授 福田信一氏に聞く
 これまで小中学校で教科外の活動として捉えられていた道徳が、2018年度から小学校(中学校は19年度から)で「特別教科」となる。「数学」や「英語」といった他教科のように数値による評価にはならないものの、検定教科書を使い文章で評価する。不登校やいじめなど教育現場には依然として課題が山積しているが、道徳の特別教科化はそれらの問題の解決策となるかどうか。道徳の特別教科化の意義や捉え方について北翔大学大学院生涯学習学研究科・教育文化学部教育学科の福田信一教授に聞いた。(聞き手=湯朝肇・札幌支局長)

教育のベースになるもの/テーマ考え議論する授業に

子供に犠牲強いる社会/教育力向上のきっかけに

福田 信一

 ふくだ・しんいち 昭和26年10月生まれ。北海道栗山町出身。昭和50年、北海道教育大学札幌校卒業。その後札幌市内の小学校教諭、北海道教育大学札幌小学校教諭、札幌教育委員会指導担当課長などを経て札幌市立元町小学校校長、札幌市立幌北小学校校長を歴任し、現在に至る。国語教育が専門で平成22、23年は北海道小学校長会会長、平成23、24年は北海道国語教育連盟委員長を歴任している。

 ――文部科学省(以下、文科省)は2018年度から小学校、中学校は19年度から道徳を特別教科として取り扱っていきます。この時期に道徳を特別教科にする背景には何があると思われますか。

 昭和21年から平成25年までを、学習指導要領の変遷といった教育的視点や子供たちを取り巻く社会環境の変化という視点から、この期間どのようなことがあったのか調べてみました。昭和35年に「カギッ子」という言葉が出てきます。「カギッ子」とは家庭の事情で、学校からの帰宅時に親(保護者)や祖父母が自宅におらず、自ら家の鍵を持参している子供の事をいいました。ちなみに、学習指導要領で道徳の授業の新設が打ち出されたのが昭和33年でした。それから10年後の昭和45年に「少子化」が報告されました。その年の出生率が2・09です。現在と比べると高い数値と思われますが、人口が減少に転じていくとあって大きな問題となりました。さらに昭和50年になると学校に行かない高校生が増え、その年は不登校増加元年と呼ばれています。それから5年後、今度は中学生の不登校が増加し始めました。「荒れる中学校」という言葉が広まったのもこの頃です。

 ところで、この時期の学習指導要領には「ゆとりある充実した学校生活の実現」がうたわれていますが、5年後の昭和60年には小学生の不登校が増加していきます。つまり、昭和50年から5年ごとに不登校の低学年化が起こっていることが分かります。結局、文部省は「普通の子供でも不登校は起こりうる」と報告しています。不登校は平成11年に13万人を突破し、その2年前に「学級崩壊」という言葉が生まれて話題になりました。これらの事象は社会の流れの中で子供たちを取り巻く環境も変化し、その流れに子供たちも巻き込まれ家庭、地域、学校でいろいろな様相を見せていることを表しています。「子供は大人社会の鏡である」ことを大人がまず認識することが大事です。

 ――戦後、日本は経済大国として発展してきました。その中で社会が変化し、至る所で大きな歪みをもたらしたともいわれています。

 現代社会は人間関係が希薄化、孤立化が進んでいるといわれます、文部科学省が平成25年6月に発表した第2期教育振興基本計画でも日本社会の現状を、「危機的状況にある」としています。ここで文科省が指摘するのは、規範意識・モラルの低下、グローバル化の中での国際的存在感の低下、子供たちの生きる意欲の減退、家族・地域社会の絆の希薄化が見られ、それらが今後も進行すると社会全体の活力が低下し、社会の不安定化要因に繋(つな)がるということです。もっとも、文科省は日本の社会にはそうした悪い面ばかりでなく、強い面もあることも強調しています。すなわち、日本人は多様な文化・芸術・感性に優れ、非常に勤勉で、思いやりがあり、高度な科学技術を有し、他人をいたわる心情を有しています。それは長い歴史・文化の中で培われてきたもので、日本人のベース(基層)にあるものだと思います。ですから3・11の東日本大震災のようないざという時には日本人の良い面が前面に出てくるというわけです。そうした日本人の良さ、精神的に強い部分を引き出してあげることが教育に求められていると思います。

 ――そこで今後道徳が特別教科になった場合、これまでの道徳の授業とどのような点が変化してくると思われますか。

 今までの道徳は、教科外という位置づけでした。もちろん道徳の授業をしっかりやってこられた教師もたくさんいましたが、中には道徳の時間を使って遅れている教科の授業に充てる、あるいは自習にするといった状況もあったと思います。また、道徳の授業をしたとしても一方的な話で終わったり、内容が建前的で答えが分かり切ったことを問うというようなケースもあったといわれます。文科省は道徳の特別教科化にあたって、「考えて議論すること」を第一に挙げています。教科として明確にとらえ児童生徒がしっかり考え、自らの声で発言し議論に参加していくという姿勢を持つような全校的な体制ができれば道徳の授業は効果を発揮していくのではないかと思います。

 ――道徳の授業は小中学校の担任の教師が担当するといいます。ただ、小中学校の教師は教科を教えること以外にも様々な仕事に追われて忙しいと言います。また、小学校では今後、英語の授業が増えるなど教師の負担が増す傾向にあります。そういう中で実のある道徳の授業を施すことは可能なのでしょうか。

 確かに学校の教師はいろいろな仕事を抱えています。とくに最近では親からの苦情や要望が多くなっており、併せて生徒指導などの問題があってそこに時間を取られるというケースが多々あります。一方、道徳の授業は小学校では学級担任、中学校も原則的には学級担任が担当します。ただ、すべてを学級担任に任せるのではなく、教師同士ときには校長や教頭も入って、得意分野を出し合って指導していくこともあってよいと思います。道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行われるものであろうと考えます。さらに言えば、道徳の授業の成功は、そうした学校全体の意識改革ができるかどうかにかかっていると思います。教師が忙しいのは分かりますが、道徳は教育のベースになるものですから、たとえ他の教科が秀でていてもそこが欠如すれば教育が向上したとはいえません。ですから、今回の道徳の教科化は日本の学校教育を向上させる大きなきっかけになってほしいと期待しています。

 ――子供たちの教育は学校だけでなく家族、地域社会の連携が必要だといわれてきましたが、その点についてはいかがでしょうか。

 都会と郡部など地域によって連携の捉え方、度合いが違うと思います。最近はコミュニティスクールが一般化しているようにかなり学校も地域に溶け込んでいます。子供たちの教育について学校だけで全部行うにはやはり限界があります。子供たちの教育に必要なこと、またそれを実現するにあたって学校がどこまで可能か、それらについて学校が地域に発信し、地域と一緒に取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。また、学校も何が地域に貢献できるのかを考えていく時代になっています。例えば、雪国であれば独居老人の家の雪はねを行うとか、学校の周りの地域を決めてゴミ拾いを行うなど、積極的に地域と連携する学校が増えています。そうした地域活動は、子供たちにとって社会とのかかわりの中で生きているという実感を持つ機会となり、とても意義あることだと思います。