教委改革、教組との癒着も断ち切れ
教育委員会制度を見直す改正地方教育行政法が成立し、ほぼ60年ぶりに制度が改められる。自治体の長(首長)の権限を強化し、責任の所在を明確化するのが狙いだ。だが、懸案だった教委廃止は見送られ、課題も残した。これで教組との癒着構造を打破できるか、注視する必要がある。
首長の権限を広げる
改正の契機となったのは2011年に起こった大津市いじめ自殺事件だ。市教委が調査を怠ったりするなど「無責任体質」をさらけ出し、誰が子供たちに責任を持っているのか、教育行政の矛盾が浮き彫りにされた。
現行制度では教育行政で執行権を持つのは教委だ。教委は戦後の占領下に教育行政に民意を反映するレイマン・コントロール(素人による支配)として設置された。だが、委員は非常勤で専門知識や情報量も少ない。おまけに月1~2回の定例会しか開かれず、教委事務局の言いなりになるケースが大半だ。
それで形骸化し、教育行政は教育長がトップの教委事務局が実質的に仕切ってきた。その結果、責任の所在が曖昧となり、大津市のような失態を招いた。制度的欠陥と言ってよい。
そこで改正法は、教育長と教育委員長を統合した新「教育長」を置き、首長と教育委員会で構成する「総合教育会議」を自治体に設置して教育行政の指針となる大綱を策定するなど首長の権限を広げた。この点は評価できる。
だが、責任の所在を明確にするなら、教委を廃止し、事務局を首長部局とするのが筋だ。改正論議ではこうした指摘もあったが、今回は見送られた。これは腑(ふ)に落ちない。
事務局職員は教員からの出向者が多く、教組の意向を受けて動いたり、身内をかばう閉鎖性に陥ったりしがちだ。表向きは「教育の中立性」をうたい、裏では教組が学校支配を続ける事例が少なからずある。
例えば、「日教組王国」と称される大分県では、教委は教組とさまざまな「協定」を結び、教職員人事や各種通知の内容、卒業式の日程、研究指定校の選定などの「事前協議」を行っていた。それが構造腐敗をつくり出し、08年には教員採用汚職事件まで引き起こした。
最近でも、大阪の公立学校で教務主任や学年主任らの校内人事を教組が牛耳っていたことが発覚した。学校教育法は「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」としているが、それにも関わらず1970年代から教組主導で主任人事などを教員の選挙で決めていた。
大阪は橋下徹市長の下で熱心に教育改革を進めてきた。12年には今回の改正の先駆けとなる教育行政基本条例を策定し、首長が教育振興基本計画を教委と協議して作成するなど首長権限も強化した。それでも教組の「学校支配」が続けられてきたのは驚きだ。ようやく4月に教員選挙が禁止された。
危惧される事務局温存
こうした悪しき“慣例”が教委事務局の温存で隠蔽(いんぺい)されないか、危惧される。今回の改正で首長はどこまで踏み込んで教育再生に臨めるか、各自治体で注視すべきだ。
(6月23日付社説)