「教科化」による道徳教育の課題 衆議院議員 宮川典子氏に聞く

徳育とは良心の呵責を教えること

 文部科学省は先月、中央教育審議会に道徳の教科化を諮問した。今年秋にも答申が出て、教科化は2018年度にも実現する見込みだ。教師出身の衆議院議員(自民党)、宮川典子氏に、現在小・中学校で週1回行われている道徳教育の問題点や教科化に向けた課題などについて聞いた。(聞き手=森田清策)

教育の根本、国民に伝える契機に/心開き生き方を考える

ルールの教示ではなく/問われる心のふれあい

400 ――「教育で日本を建て直す」という志で、政治家になったそうですね。今の教育で日本を建て直すことができますか。

 今の状況では難しいと思います。なぜ学ぶのかという教育の根本に関わることが国民に伝わっていません。「働くことも、働かないことも選択肢だ」と誤解している日本人がいますが、そんな人に限って「補助をしろ」「福祉を充実させろ」と要求することが多い。

 やはり義務は果たさないといけない。その先に権利と自由があることを教育の中でしっかりと教えない限り、世の中は立ち行かなくなります。

 ――どんな教育を目指すべきでしょうか。

 今の子供たちを見ていて思うのは、六三三四制一辺倒のレールの上を一生懸命に歩いているだけだということ。しかし、彼らが持っている能力はどこで花開くか分かりません。その可能性を認める社会と幅の広い教育制度をつくるということが重要だと思います。

 東京大学に入った子供だけが優秀なわけではない。もちろん、合格した努力は認めるべきです。大学教育を受けずに手に職を付けた若者も有為な人材です。すべての子供が有為な人材だということを教育現場が体現すること、それが肝要です。

 ――多様性を認める教育制度ということか。

 そうです。今、学制改革をしようという話が出ていますが、進路はあくまでも多様であるべきです。多様な進路の中でも、一本筋が通っていなければならないのが道徳教育ですね。だから、教科化の方針が出てきたのは画期的なことです。

 ――現在の道徳教育の問題点は。

 一つの問題に集約されると思います。今は「道徳」という教科がないので、道徳の免許を持っている教師がいない。教職の免許を取る中で、道徳に関して何を教えるべきかについてほとんど学んでいない教師が教えるわけですから、教師にとって、道徳は最も嫌な時間になっています。ですから、教科化に向けては、教材の運用の仕方など教師の研修が課題です。

 ――教師にとって、道徳の授業は難しい?

 現在、道徳は社会規範を教えるだけになっています。例えば、電車でお年寄りが乗ってきたら席を譲りましょう、と。しかし、子供たちは「そんなことは言われなくても分かっている」と反発心を抱いてしまうことが多い。

 しかも、子供が社会で実際に席を譲るといろいろな状況に直面します。中には、席を譲ろうとして叱られることも。そうすると、子供は「何のために道徳を勉強するのか分からない」となり、結局のところ道徳への反抗感が出てしまい心の涵養(かんよう)にはなりません。

 席を譲ったのに怒られた場合、どう考えるかというところまで教えるのが本来の道徳教育ですが、今は社会規範を教えるだけで児童・生徒の心が動かない授業というのは、教師にとっても“地獄の時間”。このため、週1回の道徳の時間は学級活動や学園祭の準備に使われるようになっているのが実情です。

 ――道徳が教科化すれば、変わりますか。

 私は、道徳教育というのは良心の呵責(かしゃく)を教えるものだと思っています。教科化の一番のポイントはそこです。例えば、正しいことをやろうとしてもできないこともあります。その現実を前に、子供たちがどんな答えを出すのかが大切です。

 例えば、「いじめゼロ」というのはスローガンとしては正しいが、実際は非現実的だと私は考えます。個性の違う人間が集まって生きている世の中で、どうしても受け入れることができないこともあります。そこで、殴ってしまったり、なじったりしてしまった場合、なぜ自分はそんなことをやってしまったのか、やる前に考えるべきことがあったのではないか、と考えさせない限りは、いじめ問題は改善しません。

 だから、私はきれいなルールを教えるのが道徳教育ではない、という論者です。それよりも、自分がやった悪いことや苦い経験と向き合って、その中で自分はどうすべきだったのか、ということを考えさせることのほうが、子供にとってよほど有益だと思います。

 ――子供の道徳心を育てる上では、人と人が触れ合う実体験を多く積むことも必要でしょう。今の教師は事務処理に追われ、児童・生徒と触れ合う時間が少ないのでは。

 それが現実です。だから、普段から心の触れ合う生活をしているのか、ということが教育現場に問われています。教科化は教師が普段から子供たちとどう接するべきかということを考えるきっかけになると捉えたいです。

 今は、教師が生徒を言葉で厳しく叱っても問題とされるくらいですが、私は教育現場では「デーモン宮川」と呼ばれたほど、生徒をすごい勢いで叱ったりしました。けれど、その感情を引きずらないで、なぜ怒ったかを細かく説明しました。

 例えば、窓ガラスを割ったとすると、窓ガラスを割ったから怒るのではない、割れたガラスでけがをするかもしれないし、誰かを傷つけるかもしれない。最悪の場合、命に関わることもある。だから、怒ったのだ、と懇切丁寧に言って聞かせる。

 自分の感情を露(あら)わにしてでも子供に向き合おうとしない教師が道徳の授業で良心の呵責を考えると言っても、子供の心に響く授業ができるはずはありません。道徳の授業である程度の基礎をつくり、それを日常の学校生活に結びつけて生かす指導方法、児童・生徒との関係を作ることが不可欠で、そうした道徳教育の在り方が心の涵養につながるのだと思っています。

 ――道徳の教科化に反対する理由として、道徳教育は学校教育全体を通して行うべきものだという声がありますが、そうではなく、学校生活を通じた道徳教育をより充実したものにするために必要だということでしょうか。

 道徳教育への批判は2点あって、道徳は修身だという偏った考え方と、道徳は教科にすべきでないという考え方ですね。要するに、修身は思考させずに教え込むだけだというのが反対論者の主張です。

 しかし、私が考える道徳の教科化のポイントは思考させることです。いま、どの教科でも「考える力」が強調されていますが、残念ながら、子供たちに考えている余裕はなく、詰め込むだけの授業になってしまっています。道徳の時間だけは自分の心をフリーにし、自分の生き方や人間としての在り方を考えるようにすべきです。そうなれば、道徳の時間は他の教科を3時間やるよりも、価値ある時間となるでしょう。

 ――道徳教育を充実させるには、学校と家庭の連携も重要になってくるのでは。

 道徳教育を進めていく中で、もともと教育は家庭にベースがあるのだということを伝える機会が増えると思います。教育は学校で行うものだから、親が子供を指導する、教え諭すことはしなくていいという考え方をする保護者は非常に多いです。

 そうではなく、人としての生き方について保護者も一緒に考えることで、子供が育っていくということをしっかり伝えるきっかけに、道徳の教科化はなるはずです。道徳がいかに重要かということが、保護者のみならず国民の皆さんに理解してもらう契機にもなるはずです。

 みやがわ・のりこ 1979年生まれ、慶應義塾大学文学部卒。中学・高校で英語を教えていた経歴を生かし、現在、党の教育再生実行本部メンバー。インタビューの中で、教師時代は生徒から「デーモン宮川」と呼ばれていたと苦笑いするが、ハンマーを持った保護者に追いかけられたエピソードも。著書『漂流しはじめた日本の教育』で、「安易な教育政策には真っ向から闘う」と書いている。未来の宝である子供たちのために〝闘う大和撫子〟だ。