道徳の教科化、根底にある宗教への理解を
小中学校での道徳の教科化を検討してきた有識者会議の鳥居泰彦座長(元慶応義塾長)は昨年12月下旬、道徳を「特別の教科」とした上で、検定教科書の使用を求める報告書を下村博文文部科学相に提出した。
教科書誕生は大きな一歩
文科省は近く中央教育審議会に諮問し、学習指導要領の一部改定を行って、早ければ2015年度にも実施に移す予定だ。他の教科のように5段階の数値評価を行わない教育を目指すとされるが、道徳教育に検定教科書が誕生することは大きな一歩であり、有識者会議の決定を高く評価したい。
戦後、道徳の時間の導入に際して、日本教職員組合(日教組)が「戦前の修身教育の復活だ」として猛反対した。だが米国では1990年代前半、教育長官経験者が日本の修身教科書などを参考に「道徳読本」を著し、大ベストセラーになったことがある。
道徳の時間が導入された後も、学校行事などを含めた学校生活全体を通じ指導するもの、という考え方が根強かった。その結果、授業は自習時間になったりすることが多かった。
道徳は、偉人伝などによって手本となる人間の生き方に触れたり、日常で犯した過ちにどう対処するかといった内容を授業で議論したりすることで身に付く面がある。そのためにも、道徳教科書で、それに資する教材を十分に準備することが必要不可欠である。
子供たちは、今やネットを通じて自由にさまざまな情報を入手できる環境にあり、「徳目を教えても、そのように行動できるかどうかは別だ」と効果を疑問視する声も出ている。しかし、まずは学習させることが求められよう。
善悪の基準を考える拠り所となる教科書があることは極めて重要だ。戦後においては、まっとうな道徳授業も教科書も不在だったと言える。
ただ、教科書が立派でも、教える先生や家庭、取り巻く社会が、教える内容とかけ離れているようだと教育効果は大きく損なわれる。まず、大人社会が手本となるよう、これまでの言動を振り返る意味でも、道徳の教科化と検定教科書の導入は有意義だ。
第1次安倍晋三政権時の2006年に、教育基本法が改正された。伝統文化を尊重し、国と郷土を愛する態度の育成や、公共の精神の大切さなどの内容が新たに盛り込まれた。
宗教教育に関しては「宗教に関する一般的な教養」の尊重が規定された。しかし、宗教心については教育で触れにくい条文となっている。
道徳で扱う内容は、正直な行為、他人への親切心、親の愛情と自己犠牲、忍耐と謙遜など、根底にはやはり宗教がかかわっている。
その関係を説きながら、宗教心についても教えていく必要があるのではないか。
教員養成課程の改革も
教員を育成する教育学部の左傾化が叫ばれて久しい。道徳教育を軌道に乗せることで、教員養成課程の改革など、置き去りになっていた問題の解決を図っていきたい。
(1月18日付社説)