9月入学見送り 簡単でない伝統・国柄の変更


 明治以来続いてきた日本独自の「年度制」は慣習・文化にまで昇華されている。それらを無視し、欧米が9月入学だからといって追従することは賢明ではない。
 政府は「さまざまな法整備や社会制度の大幅な変更が必要になる」「丁寧な議論を尽くす」などの理由で、今年度、来年度での導入を見送る方針を固めた。与党の自民、公明両党も慎重な対応を求めていたという。当然であろう。

許されぬ拙速な議論

 日本の年度制は明治政府の会計年度を中心に始まった(明治元年は1868年)。当初は7月~翌年6月と設定。その後、10月~翌年9月、数年後には1月~12月、7月~翌年6月となって、最終的には1886年に財政法で4月1日~3月31日と定められた。

 季節的なことや税収のことなど、さまざまな要因があって、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論がされ、決定したことだろう。130年余り続き、国民に根付いた制度を、拙速な議論で変更することは許されない。

 北欧の国々では人生の節目になる就職一つを取ってみても、入社時期や仕事の形態は個人と会社で結ぶという契約社会になっている。最近では徐々に変わりつつあるが、3月卒業4月入社、生涯雇用という日本の雇用習慣のままで、9月入学を論ずるのは無理がある。

 学校の運営から地方自治体、会社、個人の生活まで年度制の下で動いている。これらを全て変えるのは単年度でできるものではない。

 新型コロナウイルスの感染予防対策で学校が休校になり、大幅に授業進度が遅れたことは確かだし、それ相応の対応が必要である。しかし、それを大義名分として教育部分だけ“先行”して9月入学とすることは難しい。

 1980年代の中曽根内閣の臨時教育審議会でも秋入学が検討された。今回議論されたのは、入学時期を「7カ月前倒し」するという臨教審で検討された内容ではなく、年度の終わりを「5カ月後ろ送り」するというものだ。

 義務教育の始まりが欧米に比べて遅いと言われる日本で「後ろ送り」はあり得ない。文部科学省では「臨教審時代の論点整理・議論で検討すべきことは出尽くしている」という考えが大勢だという。

 自民・公明の検討会議でも、教育関係者から未就学児童へのしわ寄せや待機児童増加に対する懸念が示されるとともに、巨額の財政負担、家計への負担など、コロナ危機による拙速な改革はメリットよりもデメリットが多いという意見が噴出した。

喫緊の高3救済措置

 まず政府がやらなければならないのは、来年春に大学入試を迎える高校3年生への対応だ。9月からは書面や面接で評価する総合型選抜(旧AO入試)が始まる。また、来年1月には大学入試センター試験に代わる初の大学入学共通テストが実施される。

 出題範囲や日程について、学校現場と綿密に連絡し合って調整し、受験生の不安払拭(ふっしょく)に全力を尽くしてもらいたい。