ポスト安倍で急浮上、菅義偉は何を決断したのか
「アナと雪の女王」(2013年)や「ズートピア」(2016年)と、ウォルト・ディズニーの映画はどれも面白いし人気も高い。思えば、戦後、日本人がアメリカ映画に魅せられた嚆矢は「砂漠は生きている」(1953年)だったのではなかったか。アメリカ西部の砂漠で、したたかに生き抜いている動物たちの生態を描いたドキュメンタリー映画であった。
いま永田町は、宰相・安倍晋三による「一強支配」が徹底し容易に他者の容喙(ようかい)を許さない。過酷な砂漠を連想させる。ポスト安倍にしても岸田文雄(自民党政務調査会長)か石破茂(元自民党幹事長)といった、いささか手垢の付いた人物しか浮かんでこない。
麻生太郎(副総理・財務大臣)も薹(とう)が立ち過ぎた。と言って河野太郎(外務大臣)や小泉進次郎(自民党厚生労働部会長)という若手が表舞台に躍り出るにはちと早過ぎる。「安倍の永久政権があるかも」(亀井静香・元建設大臣)という空気さえ漂う。
そこに降って湧いたように「菅義偉(官房長官)」という曲球が投げ込まれた。投げ込まれて初めて世間は気が付いた。「確かにあれがいた」。もっとも放り込んだのが、老獪さを絵で描いたような二階俊博(自民党幹事長)だから誰もが首を捻る。ついこの間、「安倍4選あるある」に言及した御仁だからである。
だが、言われてみれば菅義偉は紛れもない実力者である。外交も内政も難しい時期に官房長官を務め続けている手腕は並ではない。中曽根康弘政権で官房長官を務め「カミソリ」と怖れられた後藤田正晴(元副総理)も斯くやと思わせる。官僚たちに睨みを利かせ、「安倍政権ではなく菅政権だよ」とやっかみ交じりの声が聞かれるほどである。
「人材」には目がなかった田中角栄(元宰相)は、選挙に当選しやすい「世襲」だけでなく、「華」と「ドラマ」を持っている人物を鵜の目鷹の目で探した。「華」の代表格が近衛文麿を祖父に持つ「細川護熙(元宰相)」であり、「ドラマ」の代表格が山下元利(元防衛庁長官)であった。
細川は言うに及ばない。山下元利の方は京都一中を中退、弟妹を養いながら「専検」に合格、東京大学から大蔵省に進み、宰相・鳩山一郎の秘書官を経て政界入りした。目を付けた田中角栄は「宰相になる気なら、あーあ、キミはな、広い応接間を造れ」と申し渡した。同志が一堂に会することのできる応接間が必要という理屈である。言いつけを守った山下は自宅を改築した時に広い応接間を造っている。
田中角栄が健在ならば、一も二もなく「菅義偉」に目を付けていたに違いない。秋田から「集団就職列車」で上京し小此木彦三郎(元建設大臣)の秘書から伸し上った。世襲ばかりの永田町には珍しく「ドラマ」を持っている。慕って来る議員も三、四十人規模だと言われる。田中角栄を師と仰ぐ二階俊博が目を付けたのは自然のことだろう。
だが、何とか「菅義偉」を宰相から引き離そうと腐心していたのは「安倍降ろし」に老いの執念を燃やしていた村上正邦(元参院自民党議員会長)であった。いま体調を崩している村上正邦は何度か二階俊博と菅義偉に手を組ませようとした。その都度、菅義偉はするりと体を躱してきた。
周囲から「次は間違いない」と持ち掛けられても「まったく考えていない」と素っ気ない。それが微妙に変わった。今月中旬に、二階俊博と二人だけで密談をしている。「反安倍」の論調で知られている月刊誌「月刊日本」が5月下旬に開催するパーティーの発起人にも初めて名前を連ねた。二階俊博も、菅義偉の後見役として知られる大物経済人も出席するという。ポスト安倍を見据えた、虚々実々の駆け引きが動き始めたのである。(文中敬称略)
(政治評論家)