南北、米朝首脳会談 北はベトナム式統一を狙う?

山田 寛

 43年前の4月、ベトナム、カンボジアの戦争で共産側が勝利し、インドシナ共産主義半島が成立した。今年、その記憶がいつも以上に気になる。27日の南北朝鮮、その後の米朝の首脳会談に臨む北朝鮮の究極の狙いが、「ベトナムコース」と重なって見えるからだ。

 金正恩・朝鮮労働党委員長も父の金正日総書記と同様、「非核化は先代の遺訓」と言明した。それは南の非核化を主眼に、「将来いつか半島非核化が実現するなら、それも可」程度の弱い遺訓だろう。

 より強い遺訓は「金体制維持→南北連合の高麗連邦共和国→北主導の南北統一」という青写真だ。今回、米側からの核放棄要求は強硬だが、長期の段階的、相互的スケジュールに持ち込み、核放棄せずに済ませたい。それで機を捉えて強い遺訓の実現に向かいたい。どうしてもダメなら、弱い遺訓の様にしよう。そう考えているだろう。

 金正恩氏は、平昌五輪での特別待遇、米朝会談決定、シリア爆撃などの状況を見て、「核カード保持の重要性」をむしろ再認識したはずだ。北の独裁者にとり、独裁者が核開発を放棄、結局反体制派に虐殺されたリビアコース(2011年)も、共産主義権力者が公開銃殺されたルーマニアコース(1989年)も、分断国家で共産主義の東独が西独に吸収統合されたドイツコース(90年)も、絶対御免である。

 だが状況は違っても、ベトナムがたどったコースは北朝鮮には好ましい要素が幾つもある。米国を手玉にとり、中国と渡り合い、南に力と狡知(こうち)で革命・統一を押し付けたからだ。以下その経過を振り返ろう。かっこ内は比較コメントである。

 ①北ベトナム、南ベトナム臨時革命政府(PRG=解放戦線の政府)対南ベトナム政権、米国、韓国などで戦われたベトナム戦争は、72年のパリ和平協定で一応決着する。停戦、外国軍撤退と南の3派(南政権、PRG、第3勢力)による政治解決が決まり、米軍などは完全撤退したが、北の軍や工作員は南に残った。(こうしたごまかしは、北朝鮮も真似(まね)したいポイント。文在寅・韓国大統領は、今回の米朝会談では、北は在韓米軍撤収などは要求しまいというが、いずれ要求するだろう)

 ②元PRG閣僚の回想録などによれば、PRGは南の左派民族主義集団で、南北統一を急がず、連邦形成に留(とど)めたいと希望していた。(政府や与党の中枢に親北の元左翼学生運動家が多い文政権の南北統一指向度は、PRG以上かも)

 ③74年米国でウォーターゲート事件が起き、ニクソン大統領が退陣。北は、米軍再介入の可能性が消えたと判断、南の「武力解放」を決定した。そんな協定破り決定などは隠し、ごまかし続ける。(このごまかしも参考になる)

 ④北ベトナムは75年4月30日「武力解放」を達成。中国や当時のソ連もその後ろ盾となった。(米朝会談に臨む北朝鮮の立場も、一応中露の支持を得た様だ)

 ⑤南の民族和解や政治解決が不要となってPRGは使い捨て。北指導部は大急ぎで76年に南北を統一する。(機を逃さない統一事業断行も好手本だ)

 ⑥統一ベトナムは、中国との対立や制裁など難問山積だったが、80年代後半から経済改革を進めた。(ドイツの経済専門家らが数年前北朝鮮に、中国より規模と慎重さの点で適当なベトナム型経済改革を助言したと伝えられる)

 そんな北朝鮮思惑コースのスタートを、米国が許すか。文・韓国は「積弊清算」の保守派潰(つぶ)しと首脳会談で、コースを地ならしするのか。トランプ氏の強硬姿勢堅持と韓国保守派の頑張りに期待したい。

(元嘉悦大学教授)