高齢者とがん治療、人生観も含めて選択する
前出の「Voice」の特集で、東京大学大学院経済学研究科教授の柳川範之が「年を取ると身体がだんだん衰えていく以上、若者に対するのと同じ治療を施すことが必ずしも良いとは限らないのかもしれない。どのように老いていくことが幸せかという、ある意味哲学的な問いも含めて、高齢者に対する医療や介護サービスの在り方については、さまざまな選択肢を国民がもっと真剣に論議・検討していくべきではないだろうか」と問題提示している。柳川の専門は経済学だが、医学の専門家からも同じ指摘がなされている。
「文藝春秋」に、論考「『高齢者と抗がん剤』の真実」を寄せた国立がん研究センター理事長の中釜斉は「がんの多様さ、複雑さが明らかになるにつれ、重要視されてきたのがライフステージ別の医療です」と述べている。
同センターは今年4月末、75歳以上の肺がん患者に対する抗がん剤使用の有無によって患者の生存期間にどれだけ差が出るかを調べた結果、ほぼ差が見られなかったとする研究報告書を発表して注目を浴びた。しかし、これは75歳以上のがん患者については抗がん剤の効果が少ないことがあり得るとは言えても、直ちに「抗がん剤治療の効果がない」と結論付けるものではない。中釜の論考はその誤解を解く目的で書かれたものだ。
なぜなら、研究対象になった症例数が19人とわずかだった上、がん研究が進めば進むほど、がんは多様性と複雑さを持っていることが分かってきたからである。つまり、ある患者に対して抗がん剤が効くのか、効かないのか、また副作用の影響はどれほど出るのか、ということは専門家でもなかなか分からない。
同センターの研究報告書が発表されたことによって、高齢者に対する効果のない抗がん剤治療を減らせば現在約40兆円に達している国民医療費の削減につながるのではないか、との期待の声も聞かれた。しかし、この問題はそう単純ではないのであって、抗がん剤の効果が少ない可能性があるとは言えても、絶対に効果がないとは言えないのである。
治療効果の可能性はわずかでも、そこに懸けたいと考える患者もいるであろう。その一方で、自分の人生哲学から、抗がん剤治療を行わないと決意する患者もいるであろう。それは患者の選択の問題と言うほかない。
ただ、中釜が指摘するように、高齢者のがん治療は若い人に比べて合併症を併発するケースが多く、体力にも個人差があるので、「若年向けの標準治療」を行うことが必ずしも適切ではないという認識は重要である。
(敬称略)
編集委員 森田 清策