高齢者の理想の生き方、年忘れ他人のため働く
社会との繋がり持ち続ける
超高齢社会を迎えて、高齢者の生き方について、国民の関心が高まっている。高齢者の数が多くなっているからだけではない。誰もがいずれ年寄りになるのだから、高齢者問題は人ごとではないのである。
このため、論壇では最近、高齢者の生き方を題材にした論考が多い。月刊誌7月号でも「文藝春秋」と「Voice」がこの問題を扱っている。前者は、英文学者でエッセイストの外山滋比古と、第一生命財団顧問の加藤恭子を引っ張り出して、対談を組んでいる。題して「90歳? 年齢なんか忘れなさい!」、副題に「歳を気にしない生き方こそ大切だ」とある。
93歳(外山)と88歳だから、かなりの高齢だが、「世の中の人が盛んに歳を聞いたり言ったりするのは、日々を退屈して過ごしているからだ」(外山)といった具合で、2人の主張はそれぞれ説得力がある上に、高齢者の生き方を超えて鋭い日本人論になっていて興味深い。
たとえば、相手に年齢を聞くことがマナー違反となる外国で長く生活していた加藤は、「日本人が年齢にこだわるのは律儀さゆえ」と指摘。さらに「その律儀さとは相手との上下関係をはっきりさせて、態度や言葉遣いを変えるためのもの」と分析する。上下関係で態度や言葉遣いを変えるのは儒教の影響なのだろうが、最近はその美風も薄れてきている。
「僕たちは戦争を知っている世代だから、年上に対して礼儀が厳しかった時代をよく知っています。その後、敗戦を境に大人や年上の権威が崩れ去るのも見た」と外山が言えば、加藤は「戦前は『道徳』ではなくて、『修身』の授業で年寄りを敬うことをきちんと教えられていました」と、暗に礼儀の乱れは戦後の教育に原因があることを示唆する。
さらに、最近の論壇で「志」や「国のため」と言うと、時代錯誤と批判されるからなのだろうか、これらの言葉を使うことは避けられているように思っていたが、2人の対談でこの言葉に触れて、逆に新鮮さを覚えた。
「私はよく『自分の年を忘れて、ともかく働きなさい』と言っているんです」と述べたのは加藤。「私は昔の人間だからすぐに『お国のため』と言ってしまうんですけれど、他人のために働くのはとても気持ちが良い。何も大きな仕事をしようってことではありません。道路の掃除とか近くの病院でのボランティアのような仕事でもいいんです。社会とのつながりを持つのは、人間にとって本当に大事なことです」と、肩肘張らずに言えるのは、豊かな人生経験があったればこそだろう。
それは外山も同じ。「僕はいまの超高齢化社会で六十歳や七十歳で引退するのも逆に迷惑だと思っています。加藤さんがおっしゃったようにより良き人間になって、より多くの社会貢献をするんだという志をもたないといけません」と、加藤に同調した。高齢者が元気でいるためには、年を忘れて何かのために生きることという指摘はシンプルだが、心を捉える。
一方、「分岐点を迎える超高齢社会」と題して、高齢者の自立を支える医療・介護の在り方を論じているのは「Voice」だ。
その中で、東京大学高齢社会総合研究機構特任教授の辻哲夫は「高齢者が『元気でいる期間』を長くすることが、超高齢社会を迎える上で重要だ。このため、高齢者が閉じこもらないよう、出歩きやすく、活動や集まりに参加し続けられる地域・社会をつくる必要がある」(「在宅医療と『地域包括ケア』のメリット」)と述べて、健康寿命を延ばすことと、高齢者が社会に関わり続けることができる仕組みづくりの重要性を訴えている。
さらに、同じ特集で、日本医療政策機構理事の小野崎耕平は健康な社会をつくるポイントとして「健康をつくるための要因にアプローチしていく必要がある。医療『だけ』では健康は守れない。たとえば、偏った食事や仕事のストレスで糖尿病のリスクは高まる。一方で近所とのつながりが多い町に住むと病気のリスクが下がる」(「健康をつくるための総合政策が必要」と、インフラとコミュニティーづくりの必要性を強調した。
いくつになっても、社会のために生きる意識を持つという高齢者側の「志」の問題と、高齢者が関わり続けられる社会の仕組みづくりは、わが国が超高齢社会を乗り切るために欠かせない車の両輪である。
編集委員 森田 清策