中国の法制重視を見誤るな

ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授 ペマ・ギャルポ

法で共産党支配を徹底

民主化や言論の弾圧強化へ

 最近、中国共産党の第18期中央委員会第4回総会が開催され、今後は法制度を重視することを決定したと大きく報道された。

 日本の新聞によってはあたかも法治国家に移行するかのような印象を与える記事も出ている。しかし、残念ながらそれは大きな誤解である。中国は今回の大会もコミュニケのような形で今後も共産党の指導を強化し、共産党の下で政治を行うことを明言している。従って、新しい法治制度というものは、あくまでも共産党の政策を徹底し、習近平体制をより強化するための縛りをつけるためのものに過ぎない。

 中国のインテリ層や海外で民主化活動をしている人々も、この法制度重視は習近平氏の独裁支配を確立するためであって、習氏は毛沢東以来の権力を掌握しようとしていると知っている。最近は言論統制も毛沢東同様始めている。世間の人々は法制度の重視という誤魔化しで、中国がいかにも民主化されるような錯覚を起こしてはならない。

 香港の学生たちに対する習近平体制の対応の仕方を見ても、ウイグルの人々に対する弾圧ぶりを見ても、中国が民主化する可能性は近いうちにはないと考えるべきである。世界の自由な国々が本当に中国の民主化を望むならば、香港の学生たちの正当な要求、つまりイギリスと中国の間に合意し、香港の人々に対して約束した一国二制度を尊重し、その約束を実行するよう圧力を掛けるべきではないか。

 ”小平とサッチャー首相は共にそれぞれの国と政府を代表して合意した事柄に関しては、国家間の約束事である以上、その約束を守る義務があって当然である。この問題に関して私たちは北京政府を責めるだけではなく、イギリス政府に対しても責任を果たすよう世論として圧力を掛けるべきである。

 聞くところによると香港も学生たちや若者が命がけで行動を起こす前に、香港民主化の長老のマーティン・リー師とイギリスから香港への返還前と後、行政長官だったチョウ女史がイギリスやアメリカを回って香港の深刻な状況について訴えたそうであるが、アメリカは関心を示したものの、イギリスからは冷たくあしらわれたらしい。その理由は言うまでもなく、中国との経済的取引を重視した結果である。

 欧米の国々やアジアの人権派あるいはリベラルと称する人々が民主主義や人権などについて、声高に騒ぎ立てはするものの、具体的に中国を諭すため、経済制裁などを科する動きは全くない。実に残念である。

 幕末から明治初期に当時のイギリスは日本の改革派に武器を渡し、後から応援をしたと言われている。勿論、彼らが心から日本の近代化を望んだというよりも、日本を狙い撃ちにしようとしていたアメリカと帝政ロシアを排除し、自国に有利な政権を日本に作り、新しい市場の開拓を目論んだことであった。しかし、私は国家の生存競争においてこれも全面的に否定や批判はできない現実であろうと考えている。むしろ、それは国として当然のことであったかもしれない。

 日本も中国から追い出されることを恐れたり、中国のご機嫌を伺うような低姿勢に出るよりも、かつてのイギリスや戦後アメリカや中国などがやっているように自国の国益のためにも香港と台湾の学生運動は勿論のこと、チベット、ウイグル、南モンゴルそして真の民主主義を求め、勇気を持って戦っている中国の人々に対し、強い関心を示すことによって自分たちの外交目標の一環でもある安倍首相の言う価値観を共有できる仲間を作り、能動的に自己主張をすることで中国と世界に強いメッセージを送ることが大切ではないだろうか。

 日中両国の関係者がAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の時期を利用して両首脳の会談なるものを設定しようと必死になっているが、私は、日本が弱腰でへつらうような形で、安倍首相の政治信条や日本国の長期的国益を真剣に考えないのであれば、無理に首脳会談という形にこだわる必要はないのではないかと思う。懸命に動いている人々はどれだけ真剣に安倍政権の安定性と長期性を考えているのだろうか。外交もある意味では我慢大会のようなものである。マスコミに誘導された世論は、たとえ台風のように強力でも必ず去っていくものである。

 しかし、それに耐え、生き延びる者はより強くなることもある。日本国の未来を考え、現状を打破するためには安倍首相と日本再建の政策は耐え忍ぶことも大切であり、世論とは違い安倍首相及びその政策を心底支援している人々が失望するようなことがあっては、その基盤の磐石さが崩れることにもつながりかねない。

 最近の政策論争抜きの野党の与党攻撃も一時的な世論として無視してはならないし、反省すべき点は反省すべきであるが、それに振り回されることなく信念を貫き、日本再生の目標を達成するよう安倍内閣には精進してもらいたい。「運」は努力によって拓かれるものであるが、同時に「運」は正義の味方でもある。